[2013年5月3日]
一万円紙幣の肖像といえば、福沢諭吉です。諭吉の父、百助は、無類の学問好きで、たくさんの蔵書を所有する知識人でした。ところが、世が世です。士族中の下級、判任官(高級官吏の下につく役人)の家に生まれたため、いくら才能があり、いくら勤勉であっても、当時の身分制度に従って生きるよりありませんでした。
この時代の息苦しさを嘆いたのが、その息子、諭吉でした。諭吉の名著「福翁自伝」でこう表します。
「父の生涯、四十五年の間、封建制度に束縛され、何ごともできず、むなしく不平をのんで世を去りたるこそ遺憾なれ」
心ならず不遇の時代を過ごしたからなのか、諭吉の父は、真剣に息子を寺に入れようと画策したことがありました。自分が果たせなかった学問の道で、少しでも頭角を現してほしいと強く望んだからなのでしょう。しかし、この父の考えとは裏腹に、幼少時の諭吉は大の読書嫌いでしたので、自然と息子にかける期待は薄らぎ、結果として諭吉の寺行きの話はなくなります。
ようやく、父の血を受け継ぐかのように、猛烈なスピードで読破する天才と化したのは、十四、十五の頃でした。あっという間に、論語をはじめとした漢書に精通します。通った塾では、先生を負かしてしまうくらいの解釈力です。
この後、諭吉は、西洋の思想や、物理学や医学などの技術を取り入れることの重要性に目覚め、蘭学に夢中になっていたかと思えば、横浜見物で飛び交う英語を知るや、誰よりも素早く英語に飛びつくといった具合です。正しいことを正しいと言い切る性分の合理主義者で、きっぱりと古い因習に線を引き、常にチャレンジと変化を求めます。外国航海の話を知ると、命がけで同乗を希望します。これが有名な咸臨丸の渡米です。
この時、日本は攘夷(外国人の排斥)運動が手のつけられないほど盛んでしたが、諭吉は咸臨丸での渡米と、遣欧使節としての訪欧を経て、一貫して欧米先進国の情報を日本へ伝えようとしました。いわば、日本のジャーナリストのさきがけ的仕事をしたと言えます。
果たして今の時代に生きる人間たちは、この動乱の時代をどう見るでしょう。明治の改革によって、古い身分制度がことごとく破壊され、科学技術の力を借り大近代化が目覚ましく進みました。おおよそ140年前のことになるでしょうか。そして今から70年ほど前に(約70年という刻みで、ダイナミックなパラダイムシフト「劇的な規範・価値観の変化」がある国のようですが)、太平洋戦争が終結し、戦後、本物の民主主義が日本へもたらされます。
最近、日本国憲法の改正論議が話題になっておりますが、その渦中の安倍首相は、憲法96条(憲法を改正する手続きルール)改正を7月予定の参院選の争点にしたいとの考えを示しています。さすがに変化する時代の中で、世の中とのかい離甚だしく、日本の憲法は施行以来66年間そのままにしてきていることは無理があるのかもしれません。
なかなか判断が難しい問題ですから改正議論はさておいて、この現行憲法ですが、とても優れた誇るべき法律です。民主主義の真髄がここにあります。
ぜひとも日本国憲法第22条第1項を確認ください。
「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」
基本的人権のひとつ、職業選択の自由です。
諭吉の父百助が縛られた身分制度はこの国にはありません。この日本は、公共の福祉(大勢の市民の幸せ)に反しない限り、学問を修め、能力さえあるのなら、誰にも束縛されず、就きたい仕事に就くことのできる国です。
5月1日は、労働者の日(Labour Day)でした。私自身、教育人として自らの仕事の意義を考え、そして、教育を受ける権利を行使する子供たちに願います。
願いはひとつです。
これからもっと豊かな思考力を育むことで、いつか就きたいと望む仕事「心から誇れる仕事」に就ける日が訪れますように──