[2013年5月5日]
たとえば、料理屋や弁当屋へ行くとしましょう。よく、料理にグレードがあり、松竹梅のランクに分かれている場合があります。きっと松竹梅との区分けがあったら、真ん中の竹を選ぶのが、日本人の典型でしょう。
もしも4段階に分かれていたら、真ん中がないので、決められないかもしれません。本当に私も買い物をすると迷ってしまいがちのタイプですから、落ち着きどころにしやすい真ん中があるのは、とても好都合だったりします。
ただし、お店の方は、経営戦略上、多くの客が真ん中を選ぶことを織り込んでメニューを決めていますから、深読みすれば、真ん中メニューほど利益率を高く設定しているのかもしれません。しかし如何せん、お店の思惑通りのレールを走らされているとしても、どうしても真ん中を選択することで、ほっと安心してしまいます。
実際にアンケート調査では、たとえば、映画の評価について、「良い」「ふつう」「つまらない」とあったら、安易に真ん中を選びがちです。当たり障りのない結果を求めるなら、意図的に、奇数の選択肢を用意する場合があります。
どうしても奇数の選択肢にすると中央に分布が偏るので、この心理的傾向を回避するためには、やはり偶数の選択肢にすることです。マーケティングの狙いとして、白黒はっきりつけるべきなのでしょうから、4段階評価、6段階評価にするのが得策だとも言います。
またあまりに選択肢を多くしすぎると、人間の脳は混乱しますから、選択肢の尺度としては、7プラスマイナス2が基本です。この上限数値は、アメリカの認知心理学者ジョージ・ミラー(プリンストン大学教授)の学説「マジカルナンバー7 プラス マイナス 2」に基づくものです。
ところで、一昨日5月3日、憲法記念日で、憲法改正論議が、多くのメディアで取り上げられていました。昨日も本ブログにて、まずは現行憲法の精神を重んじることから始めるべきだという論を展開しました。ただし、憲法96条(憲法を改正する手続きルール)改正論を否定しているわけではありません。
憲法第96条
「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する」
よく憲法にからむ議論になると、すぐさま二択の一点に集中しがちです。憲法改正をするべきか、護憲を維持するべきか──のどちらかです。
それよりもまず手をつけるべきことがあります。少なくとも我々主権者である国民が、自己の責任において、どのような社会を創るのか、決定に影響を与える状況をつくるべきではないでしょうか。
事実として、改正されることなく堅持される成文憲法の中で、日本国憲法は世界最古の代物です。他国の例を出すなら、米国で18回、フランスで24回改正されており、同じ敗戦国ドイツの場合、何と57回も改憲されています。
歌舞伎にしても、日本舞踊にしても、古い伝統を重んじる精神は決して悪くはありませんが、とはいえ、法律は私たちの暮らしに基づき、生活を豊かにするための手段であるという点からすれば、その性質において伝統芸とは異なります。
60年以上も前に施行されたにもかかわらず一言も変わらない憲法と、戦後60年以上経過した人間の暮らしぶりとの差ははあまりに歴然です。果たして「時間を止めて生き続ける憲法」と、「半世紀が経ちライフスタイルを一変させた景色」とのギャップを埋めずに放置しておく方が、無理があるというものではないでしょうか。
したがって、憲法96条(憲法を改正する手続きルール)改正論は自然の流れであり、少なくとも、国民は主権者である以上、社会を創るその責任者として、憲法をどうするか決められる状況を整備するべきです。
もっともここで注意が必要です。これまで、憲法改正するかどうかの判断は、国民からかなり遠い距離に置かれていたわけです。言ってしまえば、この国の現行憲法を、安易に変更できないようにしたということは、戦後60年以上、国民を愚民として扱ってきたようなものです。
しかし、もしも憲法96条が改正され、国民の手により、憲法改正が果たしやすい環境が整ったとしたら、ただの愚民では済まされません。我々は、賢く高潔な民として、充分参政権を行使し、より正しい憲法を、自らの思考力を駆使することで、生み出さなければなりません。少なくとも、とりあえず真ん中にしよう、などと決められないのが政治です。
そうすると、当然、知恵や知識なくして、正しい政治的判断を行えませんので、やはり教育の力に頼る以外にありません。この教育の価値を重んじる点において、現行憲法は優れています。憲法26条に、教育を受けさせる義務と教育を受ける権利が明示されています。
憲法第26条
「1 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」
「2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする」
さて、現行憲法の精神に則るなら、それこそ教育により、日本人全体の判断力を向上させることが、大いに求められるのではないでしょうか。