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個別・少人数集団の塾「あっぷ指導会」
船堀校(あっぷ船堀)

[2013年5月11日]

市川市本八幡の進学塾:99%誰にでもできる

 仮に人間を観察するとしましょう。

 ミクロに人間単体をとらえていけば、人それぞれに個性があり、生い立ちも違います

 しかしながら、マクロに、人間を集団としてみたとき、我々がチンパンジーに対して、チンパジーという大きなくくりで見てしまうように、99%人間に違いなんてありません

 確かに小さな差異はあるのでしょうが、一人一人の人間に特殊性などなく、もしもその人が他人とは違うと思うとしたら、よっぽどノーベル賞級の知力や、メジャーリーガーのイチローばりの能力値があるのでしたら別でしょうが、それはただの思い込みでしかありません。

 言うなれば、自分にとって都合のよい情報で固める確証バイアスConfirmation biasがかっている状態だということです。どうしても人間は自己愛が強く、自分が見たいものだけを都合よく見て、信じたいものだけを信じる、偏ったものの見方を押し通してしまいがちです。こうした確証バイアスが働くからこそ、根拠のない自信が、本当は弱い自分のメンタリティーを支えてくれるという面もあります。

 ただし、確証バイアスがかかるという状況は、やみくもに自己肯定へ走るという嫌いがあるので、思考の現状維持ベースから逃れられず、「危機意識から発する自己改善」という選択肢が捨て去られてしまいます。ともすると、いわば「時間が止まった症候群」を強め、未来で活躍する可能性をどんどん狭めることとなります

 したがって、あまりに過度に自分は特別だと思い過ぎないことです。たとえば、天に選ばれし自分は、誰よりも強運に恵まれているので、運を天に任せて、なすがままに身をさらせば、いつか自然と道は開けていくというイメージは、若い頃に誰もが持ちがちです。そして多くの場合が、いつか幻滅の悲哀とやらを味わうものであって、そのときには、人生の大半を消化しているという、破局を迎えかねません。

 では、どのように学生生活を送るべきかという問いへの答えですが、「99%の人間は何も変わらない」という論を見直すことです。99%の人間の資質に大きな差異がないというこの示唆は、すなわち、99%の誰かにできることは、99%誰にでもできる、ことを意味します。

 もしもある学年に100人いるとしましょう。1%は天才だから、かなわないとして、残りの99%に差異はないので、このメンバーで試験を行ったら、99人の順位は変動することになります。取り組み方次第で、2位から100位の間を行き来することを物語っています。

 要するに、自分の人生における選択の仕方によって、未来の形は次々と変化していきます。かけがえのない自分の人生なのですから、こうなりたいというイマジネーションを持ち、目標をかなえる過程をもっと真剣にたのしんでみてはいかがでしょう。

 その人の生き方次第ですが、本来人生は壮大です。毎回毎回どのような選択をとるかによって、自らの人生がつくられていきますが、その選択の組み合わせは、無限に近い数にのぼるので、いくつもの未来の可能性が眼の前にあることになります

 とても幸せなことに、我々自らが、どの選択肢をとるか、自己決定できます。現在の自分が、常に未来の自分を創る権限を持つということです。真っ白な大きなキャンバスに、どんな絵だって描けるのが人生ですが、描くことを拒むのもまた人生でもあります。

 だからこそ、教育の存在意義が出てきます。自分の人生なのに、自分で描かないなどと、この世の中にこんな悲しい出来事があるでしょうか。こんな救いようのない悲しみは、決して教育が許すことはありません。やはり教育のつとめとは、「人間の叡智結集する学問」を介して、一人の人間を独り立ちさせること以外にありません

 そして、私たちが従事する教育とは、たとえるなら、子供たちの自らの手にしっかりと絵筆を持たせ、上手に自分の人生を描けるようにすることだと、強く信じます。

 その人間が真剣に描いた人生なら、どんな色彩だろうが、どんな描写だろうが、それはこの世に一枚のオリジナルであって、きっと美しく輝いて見えるはずです