[2013年5月31日]
やはり、ある程度の教育課程を経て、相応の思考力が育っているのなら、早いうちに、海外へ行くべきではないでしょうか。
決して間違ってはいけないのは、単に外国語を学びに行くことが目的ではありません。青少年の翼事業の目的にも掲げている通り、国際人、地球人の意識を育てるためにも、日本と異なる文化を知ることであり、また日本を外から見つめることです。
ずっと日本で育ってしまうと、どうしても島国であるため、独特の言語圏、独特の文化圏を形成している以上、独善に陥りがちです。日本人の考え方だけが際立ち、それ以外の考え方に触れる機会がありませんから、思考の習慣として比較論という概念があまりに希薄です。しかし、世界の中で、この日本の考え方は特殊です。
たとえば、アメリカなら、移民の国なので否が応でも、宗教の違い、イデオロギーの違い、文化の違いが厳然として日常にあります。しっかりとぶれないように自分の意見を持つと同時に、全く相入れない考え方を持つ人と接する機会を避けられません。当然、自分の考え方も認めてほしいと願うなら、全く異なる相手の考え方も受けとめることが日常的に求められます。
ところが、日本人は環境的に考え方の似通った人たちとコミュニティをつくることのできる単一民族ですから、世界のこの常識とはかけ離れています。
おそらく、海外へ行くと、外国人の強いパーソナリティーにびっくりするかもしれません。とにかく情報のやりとりを望みます。おおよそ日本人と比べると、自分を知ってほしいという思いと相手を知りたいという思いが強烈です。
彼らには思考の根っこのようなものがあり、それを相手にもあることを当然とした上で、言語と言う方法を駆使して、情報を共有しようとします。彼らは自分や家族のことをよく知っています。国や郷土へのアイデンティティがあり、宗教観があり、歴史を知り、文化も語ります。しかし日本人の場合、彼らと比べると物足りないくらいに、この根っこがもろく、結局愛想笑いを浮かべる程度で、情報のやりとりが終わりがちです。
まずは、百聞は一見にしかず、です。海外へ一度でも渡り、この目で確かめることです。しかしながら、青少年の翼の作文試験に挑戦し、団員に選ばれないとしても、ここにもまた大いなる経験という学習があります。
作文の効果とはとても大きく、自分の将来を真剣に見つめることで、自分の人生の価値を高めてくれます。それこそ、普段考えもしない自分の過去、現在、未来を見つめることで、自己のアイデンティティの確立を導いてくれます。比較的日本人にたらない精神の根っこを育むことは、自分に生きる希望まで与えます。
さらにいつか外国の人たちと交流する機会があるとき、自分の個性を全面に押し出し、相手のことも心底知りたい欲求にかられるはずです。きっと気後れなく、夢中になってインタラクティブに情報をやり取りする人間になっていることでしょう。ここに作文によって得られるかけがえのない成長があります。