[2013年6月8日]
先日、6月2日(日)の父母会でもお話し致しましたが、全国統一小学生テストの算数の対策授業で、こんな場面がありました。
比較的、計算問題はスラスラ進みます。この辺り、小学校の教育が行き届いているのでしょう。
ところが、突然、子供たちの手が止まります。何かと言えば、文章題です。目の輝きを失い、思考停止状態です。どう手をつけてよいのか分からず、ぼーっと眺めたままになります。
たまらず、尋ねてみます。
「一体、君たちは、算数ってどういう勉強だと、学校で教わっているのだろう?」
多くが「計算──」と答えます。
「もちろん、計算ができることは算数の基本だけれども、計算そのものが算数ではないんだ。分かった。本物の算数を教えるから、ついてきてほしい」
文章題という物語を、絵や図にすることが算数の醍醐味です。一つ一つの情報を、丹念にえんぴつで、たどっていきます。いわゆる条件入れです。ひとつひとつプロセスをたどっていったとき、そして、ここです。
ぱあっ!──と世界が見える瞬間があります。
算数最大の感動、「解けた!」と思わずうなる感動です。これが算数の魅力です。
こうして、一枚の解法図ができあがったら、後は計算式をつくり、計算するだけです。計算式以降の作業はもうケアレスミスしないようにするだけです。ここまできたら単純作業です。出来る限りスムーズに答えを出せばそれで終了となります。
そもそも、算数の解法で使用する線分図や面積図、ダイヤグラムなどというと、難しく感じるかもしれませんが、それは明らかに違います。
今回、全国統一小学生テストの対策授業を通して初めて、算数の本物の技術を知ることになりましたが、どの子も優秀です。論理的に図や絵を工夫していくことで、右脳のひらめきが促され、すべてが見えるという感動を共有することができました。
ひとつひとつの条件をたどった末に、ともに世界が見えた──という瞬間、みんなの目がきらきらと輝きます。その突き抜けた感動の光景は、まさに絶景です。
ただ彼らは、算数がどんな勉強かを知らず、そして本物の技術を指導された経験がないだけで、その思考力はとても優れたセンスを備えています。これをずっと眠らせてしまうのですから、本当にとてももったいないことです。やれば、できる。知れば、できる。やらないから、知らないから、できないということです。
やはり正しい算数の勉強は、子供たちの内に眠る知的好奇心を目覚めさせます。この知的好奇心に引っ張られながら、ひとつひとつのプロセスをたどることで、論理的思考力を発達させると同時に、この論理の作業が、右脳のひらめきまで誘発させてくれます。この思考の過程で、実は脳の中で、細やかに思考回路まで育まれていることも強調しておく必要があります。
ぜひ比べてみてください。この算数脳の育成法に基づき、算数学習を365日推進したのなら、きっと大いなる成長を遂げているはずです。
一方、多くの才能ある子が陥りがちですが、算数は計算と思い込んでいるとしたなら、その損失はとても大きいです。脳の狭い領域を使うだけで、算数脳を伸びやかに育てることはできません。