パソコン版を見る

個別・少人数集団の塾「あっぷ指導会」
船堀校(あっぷ船堀)

[2013年7月18日]

市川市本八幡の進学塾:形式のカタと精神のカタ

 我々日本人は、ずっと島国暮らしが続いたこともあり、なかなか世界規模の変化の流れにあって、上手に順応できない面があるかもしれません。

 そしてまたとても不器用なことに、順応性が弱いと思い込むからこそ、強いて無理して、自分を捨て、周囲に合わせようとします

 しかし、これがかえって、別の国の人からすると、違和感を覚えてしまいます。「なんで、日本人は、はっきりとした自分というものを持たないのか」「自分の根底にイデオロギーはないのか」「なぜ自分の国や家族への誇りを語らないのか」「どうしてもっと、細やかに、考えていることを主張しようとしないのか」「そもそも、本当に深く考えているのか」──等々。

 もしも、世界へ出ていくとしたら、それは語学のみで解決するものではありません。もっと大切なのは、精神の根っこです。強い個性と強い信念を持ち、そして、きちんと話し手の責任をもって、表現しなくてはなりません。

 これを日本人流に述べるなら、カタといえるかもしれません。あるいは姿勢といえるかもしれません。ある意味、この島国をとびだせば、精神のカタ、精神の姿勢があると思った方がよいともいえます。しっかりとしたインフラが整った状態で、そこにつながり、コネクトしながら組み合わされる思考の回路がいかようにも膨張していきます。

 一方、日本人のカタ、日本人の姿勢というと、精神ではなく、見た目の形に由来しているのではないでしょうか。古来より、日本は礼儀を重んじる国です。何か取り組むときには、必ず礼やあいさつで始まり、姿勢をただしながら、とりおこなっていきます。

 たとえば、歌舞伎の一つ一つの所作は、けいこの積み重ねによって計算され尽くされており、その一連の動きはたいへん美しく、心を震わせるほどに人へ感動を与えます。また手先が器用な特技を活かし、浮世絵や織物など微細な芸術作品を創造した国であることに、それこそ、誇りを抱くべきです。

 この日本特有の、見た目から入っていく形の美しさ、形の基本を知っているのなら、我々日本人は、もっと思想の基本を整えることができるはずです。もしも異国の方々に、何か問われたときに、きっぱりと誇りを持って、自分や自分の家族、自国を語れる人となり、また対等の関係のなかで、自分の方からも、心底、別の国の思想の基本を知りたいと願うことです。

 そして、こうしたコミュニケーションの、「基本」を、たった一度ではなく、何度も何度も繰り返したとしたら、いつか、おそらくとんでもない次元の世界に、その人はいるのではないでしょうか。

 きっとその人は、日本人というローカリズムと、国際人というグローバリズムを兼ね備えた優秀な仕事人です。言うなれば、この本八幡の教室でひたむきに学ぶ、未来の君たちかもしれません