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個別・少人数集団の塾「あっぷ指導会」
船堀校(あっぷ船堀)

[2013年7月21日]

市川市本八幡の進学塾:解決型思考の習慣を

 当然、私自身にも幼少期があったわけですが、いえ、今なお、精神的に幼少の部分があるのですから、必死に自覚するべきでしょう。何にしても、子供だろうと大人だろうと、心が幼いと、何かの場面で、セルフコントロールが利きません

 名著「こころの処方箋(河合 隼雄作)」によれば、人が他人をうらやましいと思うとき、単純に、「自分の持っていないものを他人が持っているから」、という理由だけで起きるとは限らない──と言います。

 たとえば、確かに大数学者は、自分にはない数学を解くセンスや技術があるでしょうが、だからといって、その大人物に対して、うらやましいなどという気持ちにはなりません。それでは、その発生の理由がわからず、へたをするとむしゃくしゃしてしまう気分が伴いながら、他人をうらやましいという、この厄介な気持ちが爆発してしまうとき──一体全体何が原因となっているのでしょうか。

 この辺り、河合先生が本著のなかで、ずばり説明しています。自分の持っていないものを他人が持っているという理由以外に、もうひとつ理由が加わります。それは、他人ではなく、自分の中にあります。

 ここが、心理学のなるほど解説です。

 例として、あるビジネスマンを取り上げていますが、その人には、本来、自分にはやるべき仕事がありながら、自分の弱さに負けて、知らず知らず現実逃避をしています。完全に自己の精神制御を失い、向かう先は、「学業や仕事で成功する弟へのうらやましいという気持ち」です。この感情が募り募って、この膨張を止められなくなっていたのです。

 しかしながら、河合先生は、このうらやましいという感情を悲観的にとらえていません。むしろ、そうした気持ちが起こるときには、自分のやるべきこと、すなわち「未知の可能性」を指し示す方向指示器の役割を果たしているのですから、そのサインをきちんと把握しさえすれば、未知の可能性の開拓へ向かうことができる──と解釈しています。何とも「改善解決が促される優れた判断」に感服してしまいます。

 ところで、うらやましいとは異なりますが、子供たちの多くが、とにかく、友達のことをとやかく言います。ダレダレちゃんが、あれをしている、こんな悪いことをしていると。もちろん、見て見ぬフリをするわけにはいきませんから、改善解決を求めていくことは必要でしょう。ただの批評家にさせてはいけません。少なくともその子は改善解決への発端を切り開いた提案者なのですから、ここは尊重するべきです。見て見ぬふりをしているよりずっと優れています。

 さらに表現すれば、自ら当事者となることを求めた果敢な勇者とも解釈できるのですから、やはり教育者なら、全力で成長を願い、思考レベルの次元を上げ、改善解決思考を促してあげることです。

 そしてもうひとつ、視点に留意するべきです。ある子の悪い所業一点ではなく、もっと引いた全体図でとらえたときに、見え方ががらりと変わります。

 長いスパンで子供の成長を追いかけたとき、人の欠点ばかりに、目がいく子は、実は自分自身に大きな問題を抱えていることが多く、それこそ、河合先生のおっしゃるところの、自分の未知の可能性から目をそむけ、他人のことにかまけてばかりいます。

 他人をうらやましいと感じたり、あるいは、その反対に、他人の欠点ばかり数えることが習慣化してしまって、心の平穏を保てていないのなら、おそらくきっと、良い意味でそれはサインです。

 賢明にもこのサインの求めに従うのなら──望むらくは、自分の考え方の根っこから切り返し、自分の未知の可能性に全力で臨むべきときなのではないでしょうか

 一方、他人のことよりも、自分自身の弱さに向き合うタイプもいます。何かうまくいかなければ、そういう子は、自分自身に、どうしたら解決するか問いかけます。どうしても自分で解決策が見つからなければ、我武者羅に先生に相談します。自分にはできないと言ってあきらめることはなく、常に思考にあるのは、「どうしたら解決するか」、「どうしたらできるようになるのか」です。

 これはIQの問題ではありません。自分の未知の可能性に挑み続け、何よりも改善解決を尊ぶ思考の持ち主は、とんでもない領域まで、高まっていきます。これまでの歴代の生徒達の成長を振り返ると、学業でうまくいき、仕事でも成功を収めた人たちは、塾の学びのなかで、優れた「思考のカタ」を獲得しています。

 おそらく成功者たちは今なお、真摯に自己の未知の可能性を見つめ──「どうしたら解決するか」、「どうしたらできるようになるのか」の思考を続けているのでしょう。

 ただし、決して忍耐とか、我慢によって継続しているわけではなく、彼らの目には輝きが宿っています。常に乗り越えるべき山を定め、その山を克服したときに、その山頂から見える世界がどれほど美しいか、知っているからに違いありません。そうやって次々と山を制覇し、次元を高めていくことで、存分に人生の感動を得ているのだとしたら、これほど幸せなことはないはずです。