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個別・少人数集団の塾「あっぷ指導会」
船堀校(あっぷ船堀)

[2013年7月26日]

市川市本八幡の進学塾:モラルジレンマ

 モラルジレンマという言葉があります。一方の、人としての道を重んじると、もう一方の、人としての道が軽んじられる苦渋の状況を言い、なかなか正しい選択というものが存在しえません。

 このモラルジレンマで、有名なのは、ローレンス・コールバーグ(米国の心理学者)が1969年頃に提示したハインツのジレンマです。


 ある女性が重病となります。その人を救う方法は一つです。開発された特効薬を服用することです。しかし、その薬はとても高価で、簡単に購入することができません。夫のハインツは、この特効薬を製造した薬屋の男に、妻の病状を説明し、安く譲ってくれないか交渉しますが、どうしても受け入れてくれません。

 もう仕方なく、妻を死なせたくないという一心で、親族や友人たちに掛け合い、お金を工面しますが、ところが、薬の値段の半分程度にしかなりません。やはり薬屋の男は、値引きには一切応じないと、かたくなな態度です。後払いも受けつけてくれません。

 そこで、ハインツは考えます。薬代を用意できないとなると、唯一妻を救う方法は一つです。その薬局にしのびこみ、特効薬を盗んでしまうしかありません。


 道徳的にも妻の死を免れる方法があるなら、何が何でも救うべきなのでしょうが、そうすると、別の意味において、非道徳的選択となります。やはり、盗みに入ることは、モラルに反してしまいます。ましてや、妻自身、こんな社会的に許されないことをしてまで、命が助かりたいと思わないはずです。しかしながら、それでは、みすみす失わなくてもよいはずの人の命が、失われてしまうことになります。それはまた非道徳的といえるのかもしれません。

 こうして苦悶の堂々めぐりが続きます。どうしたって、すっきりと綺麗に納得のいく答えというものがありません。これがモラルジレンマの典型例です。

 昨日のブログにて、ゲーデルの不完全性定理についてお話ししましたが、数学的にも、真偽を決められない命題は、この世の中に数多く存在します。

 少々知恵を駆使し、大岡裁きのように、すぱっと誰もが魅了されるような解決法が示されるとは限りません。それはどんな命題かによります。

 たとえば、アルベール・カミュの小説「異邦人」のような不条理もあれば、理不尽、ジレンマ、矛盾、パラドクスなどの表現があるように、美しく割り切れないのが、世の常、人の住む世界ともいえます。

 むしろ、簡単に誰もが納得できる答えなどというものは少なく、だからこそ、人は人らしく大いに悩み、とことん挫折しながら、それでいて、たくましく未来に生きようとします。

 おそらく、今の学生諸君は、無矛盾の答えのある学習に、当然力を入れていることでしょうが、この先、社会に出た時、ハインツのような苦渋の選択に迫られることがあるかもしれません。

 それだからといって、投げやりの考えだけは避けるべきです。それはあまりに邪悪です。これという明確な答えが仮にないとしても、これまでの学問の蓄積とその解釈力の養成が、確率的に、より正しい答えに導くものと信じます。