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個別・少人数集団の塾「あっぷ指導会」
船堀校(あっぷ船堀)

[2013年7月29日]

市川市本八幡の進学塾:デジタル世代VSアナログ世代

 ある程度の年齢に達すると、若者たちへ難癖をつけたがります。ついつい口から出てしまう言葉というのが、「近頃の若い奴らは──」から始まる文句です。

 今の年寄り世代もまた、当然若い時分があったわけですから、同じ嘆きを浴びせられてきたはずですが、あっさりとその記憶は消去しがちです。したがって、過去の自分のことは棚に上げて、注意の目は、自分より若い世代へ向かってしまうのでしょう。そして、人類の歴史において、年寄りの若者批判は繰り返されてきています。

 少なくとも、紀元前4世紀ごろ、古代ギリシャの哲人プラトンまでもが、「近頃の若い者達は礼儀を知らず、言葉の使い方がなっていない」と遺していることを考えると、とても根深く、おいそれと、今後も世代間の溝は埋まらないのかもしれません。

 ただし、この二極のギャップについてですが、プラトンの時代と、今の時代とでは質の違いがあるように感じます。

 あまりにも、科学技術が発達したおかげで、びっくりするくらいに、変化が激しく、したがって、何もかもが速く展開する時代です。このファストライフを可能にしたのが、やはりICT(情報通信技術)の進化であり、「量と質をそのまま変えることのないアナログ」から、「情報を圧縮してコンパクトにできるデジタル」への移行は、大きく時代を画することになりました。

 いわゆる、デジタル・ネイティブという言葉がありますが、生まれたときから、ICT(情報通信技術)に関連した高度なデジタル製品があるのが、今の子供たちです。考えてみると、今の若者と年寄り世代の生まれてきたときの景色が、あまりに違っています。

 懐かしい昭和の時代と比べると、その差は歴然で、今の時代は、インターネットで簡単に調べられることが当たり前であり、あるいは、たいへんコンパクトで、持ち運べるスマートフォンや音楽プレイヤーがごく普通の日常に溶け込んでいます

 そうすると、アナログ・ネイティブか、デジタル・ネイティブかによって、随分と見えている世界や思考の組み立てに、大きな差異があることは、避けられないのでしょう。

 一昔前、アナログ世代は、高度な情報化時代の到来を予感したとき、その危険性を考え、個人情報保護について施策を練ってきたわけです。ところが、ソーシャルネットワーキングサービスがコミュニケーションの主役となる時代ともなると、はるかに予測を超えて、膨大な個人情報が飛び交います

 もちろん個人情報保護法に反しないように、個人の責任において、さまざまな規約にサインすることが前提ですが、多くの場合、実情として、この大切な規約を読みもしないで、ソーシャルネットワーキングサービスを利用しようとします。

 今となっては、情報漏れによるリスクをヘッジしようという気持ちよりも、かえって、早々に(言うにおよばず慎重さも必要ですが)個人情報の扱いの規定にサインインしまった方が、情報のやりとりが迅速に進み、コミュニケーションの質が改善し、eトレードするにも有益な情報を得られます

 何にしても、いくら年寄りが頑固に伝統を守ろうとも、この世界全体のうねりは変えられません。というよりも寧ろ、年寄りだろうと、若者だろうと、個人が主体となる時代へ大きく舵を切ったのですから、もうそこには、若者と年寄りの区別なんてしたって無意味なのかもしれません。

 とにもかくにも個人の時代です。インタラクティブの情報のやりとりにおいて、個人の自由度が広がるのと同時に、相対的に自己責任が強くなります。

 そういうわけで、言うに及ばず、ますます教育は、主体的に判断できる力を、子供たちに与えていかなければなりません。かつてなら盤石な社会のシステムが個人を守ってくれたのでしょうが、これからは強い個人個人が影響し合うことで、フェアな精神に基づき、社会のシステムを構築していくことが求められます。

 大きく社会全体の景色が変わっていく時代において、その景色に合わせて,教育もまた進化を遂げる必要があるのでしょう。自戒をもって、日々研鑽です。