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個別・少人数集団の塾「あっぷ指導会」
船堀校(あっぷ船堀)

[2013年7月30日]

市川市本八幡の進学塾:日本語<英語

 受験科目で比べた時、どうしても、言語のルール上、英語よりも厄介なのが現代文といえます。もしも現代文よりも、英語の方が難しいと思い込んでいるとしたなら、とても非効率な受験勉強をしていることになります。

 多くの場合、日常語として、日本語を使用しているので、日本語の世界観から、英語にたいして読み取ろうとするので、そうすると、英語への違和感が膨らんでしまいます。

 しかしながら、もしも、どちらの言語も知らない人が、英語と日本語のスキルを獲得しようものなら、明らかに英語の方が簡単です。なぜなら、英語は、論理で構成されており、単語がつないでいく度に、話し手・書き手の意図がはっきりしていくからです。

 それに比べて、日本語は、ルールがあいまいで、前提条件や省略部分を、相当聞き手・読み手が補っていかないと、言語として機能しないところがあります。簡単に主語の省略をしてしまう言語なのですから、あまりにも聞き手・読み手には不親切です。

 また言語とは本来、話し手・書き手が、自分の考えているイマジネーションを伝えるものであって、脳の中でかたどられる映像を、言語という記号(音声あるいは書き言葉)に変換して、相手へ伝達します。伝えられる受け手は、言葉という記号を速やかに、映像へ変換することで、理解を進めていくことになります。

 そのときに、たとえば、「私は英語を勉強する」とあれば、「私は」の主体を映像にし、「英語を」と次にイメージします。ですが、日本語の場合、何の関係性もなく、何の脈略もなく、脳の中で、「私は」と「英語を」が浮かび上がり、この後、「勉強する」という動作が二つの間に入り込むことで、ようやく全体の意味をなします。

 ところが、これが英語になると、“I study English. ” となるわけで、「I」の主人公をイメージ化した後、「study」がきます。すぐに動作を表す動詞がくることで、主人公の動きが明瞭です。そうして、最後に、主人公が動作をしていて、その動作がどこへ向いているのか、目的語(対象物)の「English」を伝えるので、判然とします。明らかに、伝えるべき情報として、英語の並びのほうが、スムーズといえるのではないでしょうか

 さらにいうと、これが否定文になれば、日本語の場合、語尾までこないと、するんだか、しないんだかはっきりしません。しかし、英語ですと、I don’t とすぐに否定を示しますので、知りたい情報が真っ先にきてくれます。

 これにくわえ、疑問文ともなると、日本語は、最後に「か?」という助詞がつくことで、疑問だとわかります。言うに及ばず、英語なら、Do you と始まれば、すぐに相手は尋ねているのか、とその意がわかります。

 ここまで簡便な例を挙げましたが、とにもかくにも、英語は、伝えなければならない情報ほど前へきて、「伝えたいこと」の次に「その説明」が連なります。これと比較すると、日本語の場合、なぜだか伝える情報ほど、後ろへ持っていきがちですから、これほどわかりにくい言語はありません。

 にもかかわらず、我々日本人の多くが、この使いづらい日本語を習慣的に使うことで、何の違和感もなくこれを利用し、本来、言語としての機能性、論理性を重要視している英語にたいして難しいと考えているのですから、何とも不思議です。

 どちらを得点化しやすいかを考えるなら、圧倒的に英語に軍配が上がります。受験において、英語を得意科目にしない手はありません。英語を制することなく、受験を制覇することはできません。もしも英語が最大の難関と考え違いを起こしているのなら、やはり、根本の考え方を変えないと作業効率の悪い学習状況となります。

 さて、本日はここまでとしますが、次回は、難度の高い現代文について掘り下げていきます。