[2013年8月10日]
教育の本質を語るなら、教育とは、子供を大人にすることです。くれぐれも誤ってはいけないのは、進学をかなえるのは手段であることです。よりよい環境で優れた学びの機会を、未来の可能性たちへ与えることで、いっそう彼らの思考力が高まり、優れた大人への道を進んでいきます。
しかし大人たちは、あまりに子供のことを大切に思うあまりに、子供を子供のままにしてしまいがちです。きちんと育てて大人にしなければ、その子が将来独り立ちできないことはよく分かっているのに──メルヘンの夢世界で幸福感を味わわせたいというジレンマが、発生します。
たとえば、いつまでもサンタクロースを信じている子供がいるとしたら、考えものです。確かに空想の世界は、その子のイマジネーションを豊かにする働きがありますが、ある年齢を超えると、現実世界の魅力を教える分量を増やしていかなければなりません。
当たり前のことですが、私たちは本来この現実世界で生きているのであって、サンタの乗ったソリが空を飛び、妖精が舞うような、メルヘンで塗り固めたおとぎの世界では、私たちが体内に取り入れる食べ物を生み出しません。質の高い生活物資をつくりだすこともありません。
何をどうしようとも、一人一人が大人としての責任と役割を認識し、それぞれが切磋琢磨することで、この豊かな社会をつくっているのが、れっきとした真実です。とにもかくにもフィクションではなく、この真実に従うのならば、子供を子供のうちに、教育という力を駆使することによって、意図的に大人へ成長させる必要があります。まだまだ幼く子供の彼らに、現実世界の魅力を教え、現実世界で大人として生きていく力を成長させなくてはなりません。
さもなければ、大人のいないピーターパンだらけの社会では、まともな働き手がいないということですから、たちまちこの国の住人たちは生きていかれなくなります。
今一度強調しますが、やはり、教育とは、子供を大人にすることです。何よりも学問の力を駆使することで、どこまでも知恵をつけ、豊かな脳の回路を育む日々を通して、いつか本物の大人に子供たちはならなければなりません。
ただそうはいっても、なまなかピーターパンを気取って、「大人になんかなりたくない」という子供がいるかもしれません。何だか、一所懸命働く大人たちが大変そうに見えるからいつまでも子供のままでいたいと願うとしたら、大間違いです。
いつか子供は与えられる側から、与える側に回ることによって、想像しがたい大きな世界を獲得できます。これまでの与えられる小さな、小さな、隷属的幸せなんかよりも、ずっとずっと気高く崇高な幸せです。言うなれば、子供の住む世界とは次元が違います。とても見晴らしの良い高台からの景色は、とても雄大で魅力的です。
決して世間からはみ出すことなく、いち社会人として、勤労の義務や、納税の義務、あるいは教育を受けさせる義務などを果たすことを大前提としますが──何もかもを自分たちが生み出す創造的幸せが、大人の世界にはあります。