[2013年8月31日]
昔の米国映画を見ると、ボスにあたる会社の社長は、恰幅がよく、葉巻きを吸い、とても威圧感があります。その見た目として、はっきりと会社のヒエラルキーのトップに君臨する人物ととらえやすく、部下たちは服従の精神を示すのが当たり前です。何だか、ライオンやサルの世界のリーダーにも共通するところがあるように感じます。とにかく見た目に、わかりやすく、リーダーの貫録が集約されています。
ところが、今はどうでしょう。とりわけ海外の経営者は、ある程度個人差がありますが、比較的、スリムです。葉巻きなどもってのほかで、タバコなど吸いません。日本の映画やドラマでも、タバコを吸うシーンは随分と減りましたが、これがハリウッドですと、もっと規制が厳しいという実情があります。
すでに世界のビジネスの潮流において、セルフコントロールの能力は、仕事をする上でごく当たり前の指標となっています。もはや会社の経営陣に限らず、中間のマネージャークラスでも、「きちんとジムなどで運動をし、体調管理をしているか」、「自分を律し規則正しい生活を送っているか」、「何か目標を持ちスキルアップに努めているか」等々問われる時代です。
もしも自己制御できないと判断されると、昇進昇給や社会的地位にも影響を与えます。もっとも日本の会社でも、仕事場でタバコを吸う場所がなくなり、生活習慣病の改善を促し始めていますが、外資系の会社と比べると、はるかにこのセルフコントロールの重要度が異なります。
古いものの考え方をもっている人ですと、情緒的に人間の欲望に理解を示したいという気持ちになるのでしょうが、ロジカルにものを考える世界では、真逆です。何が最も合理的に生産性を上げるのかという解決点ありきでプロセスをたてるのであって、個のわがままから発想することはありません。
そのため、働く人間であるなら、自分の能力の最大値化を目指すことが求められますが、そうした組織の中において、ドラッカーの経営哲学書を読むまでもなく、責任を果たすことは、とてもやりがいがあることです。高校野球などでも一人一人が懸命に自分磨きをすることで、チーム全体が強くなりますが、これは仕事の組織においても言えることではないでしょうか。スティーブ・ジョブズが率いたマキントッシュの開発チームもそうですし、日本でも優れたリーダーがつくるチームは、同様なことがいえます。面白いことに、ハードワークでありながら、人は責任を果たし、チームに貢献することで、幸福感を増幅させます。
おそらく、今学生の皆様が、大人になったとき、この自己制御の能力はいっそう問われることになるはずです。いえ、実は今まさに問われているといっても過言ではありません。
一年を通して、飛躍的に成績が伸びる生徒の特長として挙げられるのは、自分をコントロールする力です。もちろん、持っているポテンシャルの高さも大切な要素ですが、才能を持てあましてしまっては元も子もありません。
自分を律する力は、大きく学力の向上へつながっていきます。スポーツの世界でも、トップアスリートほど、脳科学や心理学を駆使して自分をコントロールする力を向上させます。すべては、戦績を上げるために試みられることです。
実は、人として生まれたからには、誰にも、未開発の可能性が眠っています。常に行動を起こす度に、何よりも自分の中に論点をつくり、どうしたら向上できるか、どうしたら改善解決できるか──に夢中になれる人の成長力は膨大です。
しかしながら、人は弱く、とりわけ教育のサポートがないと、ともすると、ダークサイドに落ち、論点をずらしていきがちです。本来、自分の中にたくさんの可能性が眠っていて、これを開発していくと自分の未来はいかようにも変わっていくはずなのに、うまくいかない子は、自分の可能性の一点から目をそむけます。スマートフォンやゲーム、食べ物などに執着するか、あるいは、何かの原因を親や友達、学校の先生のせいにして、いつまでたっても自分と向き合いません。
もしも、何かに依存していることに気がつくなら、あるいは、自分の考え方として、常に他人がどうだとか、自分が置かれている環境が不幸だとかと嘆くとしたら、おそらく切り返しのチャンスです。うわーっと、自分を変えたいという心の叫びが、サインとなって自分の体内で反響しています。しっかりとその声に耳を貸すべきときが訪れているのです。
言うなれば、自分の思考が依拠すべきは、自分自身の成長一点であり、さらにもっと言えば、自分に一点集中できる人は、どんな状況でも自分の精神をテコとする強さがあります。したがって、どうしたらこの自分の力で、他人まで変え、環境全体を変えられるかまで考えられるようになります。
そういうことで、やはり、他人や環境などに依存せず、自分に解決の論点をつくることのできる人間が、大きくその目に見える世界観を、ぐわんと広げることができます。「考えるゆえに人間である我々」であればこそ、思考の世界を広げる度に、幸せもまた比例して拡大していくはずです。