[2013年9月10日]
いつからか、努力という言葉を使うことを少々はばかるようになりました。努力と言うと、歯を食いしばって我慢をしながら、何かに注力するイメージがあるからです。だから、本ブログでも、意図的に、夢中や没頭という言葉を選択して使います。
未来ある子供たちには、学問に対してイヤイヤ、我慢させながらやらせたくありません。私たちの先輩たちが遺してきたこの叡智の結集ほど尊いものはないからです。やはり学問は無我夢中になるべきものです。学問に対して失礼があってはいけません。
何よりも、知的好奇心に駆りたてられ、目を輝かして打ち込むのが学問です。しかも、解くのが厄介な問題ほど、一つ一つプロセスをたどった末に、ひらめきが誘発された瞬間のあの、感動といったらありません。
また、夜遅くまで、定着度を高めるために、基本書やノートを駆使ししながら、意図的に脳の回路を創る作業の終わりには、一体、何が待っているでしょう。膨大な達成感という感動が、心地よく自分を迎えてくれます。
子供たちの塾を後にする間際の、あの何とも言えない達成感に満ちた表情に魅了され、その達成感のおすそわけをされるのもまた最良です。そしてその日が最良の一日という印象をくっきりと心臓に押し付けてくれる、何ともくすぐったくなるような余韻を受けながら、また明日と言う日がつながっていきます。