[2013年9月11日]
考えるに、人は弱い生き物です。いつまでたっても弱いまま、大人になる人もいれば、経験や学習によって、一気にブレイクスルーを見つけて、強くなれる人がいます。
ここで言う強くなるという定義づけは、逆説的ですが、弱さを事実として受け止め、この弱さをどうにかして変えたいと思うことです。
それに対して、必死に自分の弱さをひた隠し、自分でも怖いから見向きもしないようにするのは、とても弱い精神です。事実の世界ではなく、空想の世界でその人は生きています。あたかもネバーランドに暮らすピーターパンであるがごとき、ファンタジーに逃げ込んでしまいます。
ある子は、宿題という現実、試験という現実から目を背けます。ある子は、何となく教材をやりっぱなしにして、忘却期間に備えた、ノートやファイルの管理術を怠ります。その時間を何に当てるかというと、スマートフォンやゲームかもしれません。何となく時を、非現実世界の中で過ごし、ひたすら現実世界で生きていることを忘れようとします。
よく、アマゾンCEOのジェフ・ベゾスは、「ファクト(事実)ベース」で考えることを強調しますが、自分のフィルターにかけず、多視点の目をもって、何が事実であるかを知らないと、世界のビジネスの中では、成果を生み出せません。
たとえば、数学を活用したマーケティングなどは、まさにファクトです。このマーケティングなくして、イノベーションを果たすことはできません。
しかし、多くの場合、事実を歪めるか、事実を見向きもしないで、からっぱの脳で何か答えを見つけようとします。当然、その答えは、自分に都合のよいように捏造されたものでしかありません。子供であればあるほど、このような傾向は顕著です。
おそらく、少々説教くさいこのような話から逃れたいと思えば、子供でしょう。けれども、この事実を事実として受け止め、本気になって自分を変えようと思ったとき、大人への成長が始まります。
だからこそ、受験期になる子供たちのひたむきさに胸を打たれます。できないという事実と、できるようになった事実を仕分けし、「できない」を「できる」に切り替えられるように、毎日の学習作業があります。事実と向き合うのが、本物の学習です。事実と向き合えるのが、本物の大人です。
ある子は、学習教材の整理術があまりに杜撰でしたが、今は本八幡校の学習指導の下、ノートとファイルの整理術が向上しています。たとえば、算数の問題で、できるとチェックマーク、まだ完ぺきな状態でないと、三角マークをつけます。そして、ついた三角マークをいかに、チェックマークにできるか、ただひたすらこの一点に注力します。
さて、すでに「午後から学習」がスタートしましたが、明らかに子供のファンタジー思想から、大人の事実思想へ切り替えられたその成長が、何より嬉しいことです。この教室は、きりりとしたブレイクスルーに満ちています。