[2013年9月14日]
water──この言葉を聞くと、希望の光をイメージします。バチャバチャと跳びはねる水の滴が、太陽光に照らされて、きらきら輝いています。
この希望の光は、別の言葉にするなら、ブレイクスルーです。ひとつのきっかけがターニングポイントとなり、見える世界ががらりと変わります。その人は一段高い次元へのぼります。
知能指数の問題ではありません。誰もが、突破口を見つけ、その人なりのとても清らかで美しい次元の高め方があると信じます。そうでないと、教育がウソになります。
そして、この偽りのない事実は、私が指摘するまでもなく、ずっとずっと優れた偉人が証明してくれています。
ヘレン・ケラー(1880−1968)です。2歳のときに高熱を出し、一命はどうにかとりとめるものの、聴力、視力、言葉を失います。
おそらく皆様ご存知のとおり、彼女の教育係となったのは、サリバン先生です。有名な戯曲のひとつに「奇蹟の人The Miracle Worker」がありますが、多くの人がこのタイトルの意味を誤解しています。
障害のハンディキャップを乗り越えたヘレンが、奇蹟の人ではなく、まさにMiracle Workerミラクルワーカーが原題であるように、この奇蹟の仕事を成し遂げたアン・サリバンこそが、奇蹟のワーカーです。
さて、とても象徴的なシーンが、冒頭です。
まだ幼いヘレンは、指文字でw-a-t-e-rとサリバン先生に伝えますが、先生ははっとします。なぜなら、「のどが渇いているから飲み物がほしい」というサインとして、w-a-t-e-rと伝えてきたからです。
本当のwater の意味が分かっていなかったのです。そこで、彼女の手を引いて、ポンプ式の井戸の前へ連れて行きます。彼女の片手にあたるように、思い切り井戸の水を流します。そうして、彼女のもう一方の手のひらに、祈る気持ちで、何度も何度も繰り返し、w-a-t-e-rのつづりを書きます。
その瞬間、ヘレンはついに知ります。
「今、この手に感じる冷たいものが、waterと言うものなのだ」と。
同時に、彼女は、waterのように、ものには名前があることを学びます。さらに、彼女は様々なものに関心を示し、興奮しながら、これは何て言うのか、指文字を求めます。ここで彼女ははたと気づいたように、アン・サリバンが、一体何であるのか──尋ねます。
そっと、サリバンは、t-e-a-c-h-e-r──とつづりました。
確かに奇蹟は、ヘレンに起こりました。まさにブレイクスルーです。これまで見えていた世界とは全く別次元の世界へ、彼女は歩み出すことに成功します。その後、学業でも成果を収め、ラドクリフ女子大学(現ハーバード大学)を卒業し、身体障害者の教育・福祉に尽力します。
間違いなく、奇蹟を起こしたのは、アン・サリバンです。かわいい教え子がw-a-t-e-rの意味を初めて知り、それが学びへのブレイクスルーとなったことも感動でしょうが、自分へ興味を示し、t-e-a-c-h-e-rの指文字をつづったときの心の震えといったらないはずです。
このとき、サリバンは自分が何者なのか、学んだに違いありません。おそらくです。生きる人の精神の支柱となる、「アイデンティティ(自己同一性)の確立」があったはずです。
ところで、辞書を引くと、teacherには「教える人、先生、教員、教訓を与える出来事」という意味があります。しかしこれではもの足りません。先生として模範にするべきは、アン・サリバンです。まさしく本物の先生です。
きっとt-e-a-c-h-e-rの正確な意味は、「奇蹟を起こすThe Miracle Worker」です。この定義づけに従うのなら、私自身、到底t-e-a-c-h-e-rではありません。もっと自分をイノベートし、少しでもThe Miracle Workerに近づかなければなりません。