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個別・少人数集団の塾「あっぷ指導会」
船堀校(あっぷ船堀)

[2013年9月19日]

市川市本八幡の進学塾:教育イノベーターへ

 かつて斬新でイノベーターだった人材も、ひとつ間違うとたちまち、時代に追いつかれ、追い越されてしまいます。

 今まさに、あるテレビ局の状態がそのようにとらえられています。確かにかつてのトレンディードラマは時代をリードしていました。

 また創作料理で勝負を展開するキッチンスタジアムは新しかったゆえに人々を魅了しました。しかし、それはとうに昔の話です。にもかかわらず、単純に過去から引っ張ってきた二番煎じなら、古くて工夫がないという印象づけをしてしまいます。

 ただ教育業界はどうでしょう。もっと保守的なところがないでしょうか。ピーター・ドラッカーは、経営の主眼において、マーケティングとイノベーションを強調しますが、イノベーションがない企業は、社会的な存在意義を失い、ひいては人から見向きもされなくなります

 言わずもがな、イノベーションとは反対に、世の中には変わらないことがあります。社会の秩序や正義を守る精神、人を思いやる精神、世の中をよくしようという思いはいつの時代だって尊重されます。いつだって社会は人材です。その人材を育てる教育の場はまさに人です。人が集い、人によって人が育つ場所です。

 しかし、一方で、確実に変わるものがあります。常に科学技術の力によって、ライフスタイルは変わっていきます。人が欲する快適な生活への変化は、文化や娯楽を変えます。

 たとえば、小説の世界では、すべての仕掛けは、古代ギリシャの時代に確立されていて、それより後は、模倣でしかないと言います。ですが、小説を読めばわかることですが、世の中の変化に合わせて、新しい道具立てが登場します。当然昔には、スマートフォンやSNSなどなかったわけで、今の小説ともなると、がらりと絵面が変わります。その意味において、小説や映画において、イノベーションは続きます。

 もちろん仕掛けという意味では、組み合わせの工夫によって、幾通りもこれからも存在するとして、全く新しい素材が生まれることはないのかもしれません。この世に存在する物理的な物質は既出であって、しかし、その物質の組み合わせによって、石油からプラスチックがつくられ、半導体という部品が発明されたというように、とてつもない数の、素材や製品が生まれています。

 つまり、新しさとは、全く何もなかった状態から誕生するものではなく、組み合わせによっていかようにも生まれてくると定義づけられます

 言わば、ジョブズの創ったiPhoneを新しいというのか、それとも、ただ単に今まであった部品を寄せ集めたにすぎないというのか、さて、どちらが正しいでしょう。

 一般的に、iPhoneは新しいとされ、本当に世の中のライフスタイルまで変えてしまいました。iPhone以前と以後では、世界の景色まで様変わりしています。道行く人がタッチパネルを操作する光景など今までなかったわけですが、街を歩けばどうでしょう。まさにイノベーションです

 そうなると、まさに教育の世界でも、先の定義づけにおけるイノベーションが巻き起こることに期待したいですが、英語教育や理数系強化教育、ICT(情報技術)教育において、この国は後れをとっています。政府の方では、基本方針をうちたてながら、結果的にいうと、教育現場に降りて行きません。ひとつ言えば、フィンランド教育を手本とし、小学校の先生を、大学院卒以上にするという改正案もまた、どこかへ消えてなくなっています。

 この国の人材の質が低下していることから、教育イノベーションが必要だということがわかっていながら――しかし、実行へ移せない弱さがこの国にはあります

 さて、公中心の改革が進まないのなら、民間です。さかのぼれば、江戸時代の頃の、寺小屋は民間教育の場ですし、吉田松陰先生の松下村塾や緒方洪庵先生の適塾も、民間の教育者の手によって育てられました。松下村塾からは伊藤博文が、適塾からは福沢諭吉が輩出されています。

 言い得て妙ですが、「伝統は、革新の連続」という言葉があります。日本の優れた教育もまた伝統ならば、革新を連続させること一点に尽きます。安直な自己肯定、現状維持の思想などもってのほかです。もし仮に、根本の思想を懐古主義にしてしまえば、その連続の果てに、何があるでしょうか。一方、伝統とは革新の連続と定義づけたのなら、その連続の果てに、どんな成果があるでしょう。
 
 残念ながら、日本は江戸時代に、鎖国を選択することで、欧米に大幅の後れをとってしまいました。ただし、この時代にも救いがあります。すでに申し上げたように江戸の末期から明治にかけて、優れた人材は、民間教育の場で学んでいます。そして、実際に伊藤博文や福沢諭吉は欧米へ渡り、優れた学問や技術、制度などを持ち帰りました。あっという間の短期間のうちに、国の産業を発展させることに成功します。まさしくイノベーションがありました。

 今の我々民間教育の場もまた、志高く、時代をつくる優れたリーダータイプを送りださなければなりません。そのためにも教育です。言ってしまえば、今日本の人材に見劣りを感じるなら、教育に力がないからです。

 何を差し置いても、本気で優れた人材を世に輩出したいと願うのなら、いかに、教育をイノベートできるかにかかっています。我々教育者の側がまず「イノベーション」を日常語として組み込み、「イノベーター」として本物の手本となって成長しなければなりません。