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個別・少人数集団の塾「あっぷ指導会」
船堀校(あっぷ船堀)

[2013年9月24日]

市川市本八幡の進学塾:国語力の続編

 全国統一小学生テストの開催を記念し、科目別の学習法をテーマにしてきておりますが、前回は、国語力についてでした。

 しっかりと読む力を得るには、あらすじ訓練の質を高めること、この一点に尽きます。ただし、間違ったあらすじの書き方を繰り返せば、劣化を重ねるだけです。

 一番やってはいけないのは、一度読んだ後、何度も繰り返し、文章を確認し、ここを引っ張り、あっちを引っ張りと、コラージュのように切り取って貼る作業です。とても残念なのは、きちんと指導しないと多くの生徒がこのように取り組むことです。おそらく学校で教えるあらすじの書き方がなっていないのでしょう。よく子供たちの国語力の弱さが指摘されますが、国語の指導力の弱さこそ、もっと指摘されるべきであって、改善を急がないとなりません。

 ということで、昨日のブログでは、あらすじ技術について、一度読んだら、すべて映像化し、全く見ずに、あらすじをまとめる方法を推奨しました。ただし、こんなように言ってしまうと、一見複雑な文章の情報をどうやってすべて理解できるのかと疑問に思うことでしょう。

 しかし、誰にでもできます。方法は一つ。書き手の立場になって、考えることです。本来、作者は、論説文でしたら、言いたいことが一つあります。これが論点です。問題の提示といってもよいかもしれません。たとえば、アインシュタインの一般相対性理論の論文もそうでしょうし、山中教授のiPS細胞の論文も同じです。伝えたいことは一点であり、必ず座りがよいように、最後にまとめあげます。原則として、一論点があって、一帰結点です

 では、その間は何なのかといったら、当然、一論点から一帰結点へつながるように論証するわけです。もちろん構成の種類は様々でしょう。頭括型、尾括型、双括型などがありますが、順番はどうであれ、言いたいことがあり、まとめた帰結があり、これをつなぐ論証という過程があるにすぎません。

 ですから、至ってシンプルに考えれば、書かれてある文章をすべて整理して映像処理することは決して難しくありません。そして、脳の中でイメージできた描写を、後は言葉に変換していく作業です。表現は幾通りもあります。論点と帰結点と、これをつなぐ論証にずれがなければ、これにくわえ、正しい日本語であるなら、どれも正解となります。

 ということで、最後になりますが、小説文の解説です。よく論説文の方が苦手、あるいは、小説文の方が苦手と言う人がいますが、どちらかができるなら、どちらもできます。苦手意識さえなくなれば、読み取りは技術ですから、処理スピードの差はあれ、誰でも克服できるはずです。ちなみに処理スピードのことでしたら、当塾の「速読コース」によって充分解決できます。

 さて、戻しましょう。小説を読む際、どのように正確に理解するかということになりますが、絶対にやってはいけないのは、5W1H「いつ(When)、どこで(Where)、だれが(Who)、なにを(What)、なぜ(Why)、どのように(How)」の意識づけです。おそらく学校の国語の授業で、5W1Hを意識させながら、読解させようとしますし、これは大学受験の国語の問題集であっても、5W1Hの言葉が躍っていることもあります。

 もしも殊更意識するなら、だれがどうしたかを優先にするべきであって、いつ、どこで、どのようになどという表現は、把握すべき情報として優先度が低いので、別段強調する必要がありません。むしろ、人間の脳は一度に把握できる情報に限界がありますから、5W1Hへ気持ちがいくと、本筋を見失うこととなります。

 やはり、国語の読み取りは至ってシンプルにすることです。必ず小説なら、何かが起こります。読み手の興味を促す出来事です。たとえば、名探偵コナンのような推理ものなら、殺人事件が起こり、殺人トリックを暴く過程があって、最後にすべての謎が解けることでしょう。

 もちろん、入試のような国語の問題では、抜粋して文章を掲載しているわけですが、仮に抜粋であっても、綺麗に小説の一場面を取り出しているので、心配におよびません。一場面の中の出来事があり、その出来事がどうなったか一定の結末があります。

 ただ仮にも、あやふやな形でシーンを切り抜いてつくるような問題があったとしましょう。もしもそうなら、受験者に対して、あまりに不条理な印象を与えてしまいかねません。そうなると、ロジカルに解くべき問題が成立しなくなりますから、この辺り問題作成者は充分心得て、作問しております。

 少々まとめますと、小説文であれば、必ず何かしら出来事が起き、そしてその出来事がどうなるか一定の結末で締めくくられます。その際、主人公は、出来事を通し、うまくいかず辛酸をなめるかもしれませんが、エンディングを迎えたとき、この出来事の変遷を通して大いに心的成長を遂げます。

 したがって、発生した出来事は何なのか、どんな結末となるのか、その間、主人公はどのように精神的成長を果たすのかが、小説文のシンプルな一軸です。小説を読むと言う作業は、複雑をシンプルにしていくことの一点に尽きます。