[2013年9月28日]
いよいよ、全国統一小学生テスト(11月3日【日曜日】開催 四谷大塚主催)の申込が始まり、多くの方々よりお問い合わせをいただいております。
ここまで、できる限り、全国の小学生たちの学習熱を高めたいと願い、本ブログでは、科目別学習法をテーマにしてきました。今回は社会科です。
へたをすると、社会は暗記科目と思っている方が多いかもしれませんが、それは誤りです。私たち人間が、共同体という社会を創る上で、一人一人が責任を果たし、役割を担えるようにするための学問こそが、社会科です。
言ってしまえば、社会科とは、より幸せな現実社会を創るために、何が正しくて、何が間違っているのか、正しい解釈をつけていく科目です。
たとえば、今では、平等社会や民主主義、資本主義の経済は当たり前ですが、世界を見渡せば、いまだに、独裁政権もあれば、学校教育すら成り立っていない国があります。
じつは、世界の人口70億人に対して、8億人が飢餓に苦しんでいます。その割合は、世界の人々の10パーセントにあたります。このように、地理的判断を用いて、豊かな国とそうでない国を比較するという解釈法がありますが、くっきりと事実を際立たせる効果があります。
また私たちが暮らす日本だって、大飢饉に見舞われ、餓死者が多発した時代があり、かつては軍国主義、全体主義へ走ってことがあります。ここでは歴史を通して、過去と今とを比べて、正しい解釈をつけることができます。
さらにいうと、公民分野においては、民主主義に基づく国会の仕組み、社会基盤のセーフティネットともいわれる憲法の価値、弱者を守る社会保障制度の重要性などを学びますが、この機会はとても貴重です。
すべて人間であれば平等であり、この優れた社会システムの装置を守るためにも、私たちは子供のときに、社会科をきちんと学び、正しい解釈力を磨くことです。そしていつか、この社会を創る責任ある大人にならなくてはなりません。さもなければ、かつての日本が間違った選択をしたように、たちまち、この幸せな共同体は破滅することでしょう。
ただかしこまって社会科という科目を取り上げる以前に、まず解決しておかなければならないことがあるかもしれません。何を置いても、学ぶべきその人が、いつか責任ある大人となり、社会を創る側へ回る人間かどうかの気持ちがあるかです。
より強調するなら、次の事実です。いつか責任ある大人となり、社会を創る側へ回るために、学校教育があり、優れた教育機関があるという事実です。
もしも優れた人材を世に輩出することができなければ、たちまちこの社会は終わります。人材の供給装置であるべき教育がその使命を全うできないのであれば、教育など存在価値がありません。
したがって謹んで、私たち教育者は、学習の技術を伝えるべき人間の素地を見極める必要があります。またあまりにもその子を見るに、権利意識や自己愛が強く、このままいったら無責任な大人になると判断するなら、やはりその邪な精神を変えてあげることに尽きます。
しかしながら、そうは言っても、人は間違います。子供ならなおさらです。子供のときだからこそ、許される行いはたくさんありますが、間違う度に修正していかなければなりません。そして、どれと比しても、チャレンジこそ、尊ぶことです。なぜなら、たとえ失敗しても、そこから学ぶからです。もしもチャレンジを怠れば、何も気づかずに、何も成長せずに、脳はからっぽです。
そして、ひたむきな挑戦は、大人になっても続きます。したがって間違うことも続きます。どちらにせよ、子供だろうと、大人だろうと、重要なのは、克服、変化を望む心があるかどうかなのではないでしょうか。