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個別・少人数集団の塾「あっぷ指導会」
船堀校(あっぷ船堀)

[2013年10月30日]

市川市本八幡の進学塾:日本的個性の発揮力

 もちろん日本人なのですから、日本びいきになって当然かもしれません。私自身も、日本人ほど規律や道徳を重んじる人たちはいないと思いますし、その清らかさは誇るべき精神だと胸を張れます。

 たとえば、自動販売機一つとってみても、国民性がよくあらわれます。日本ですと、当然路上に設置されていますが、外国人の方はこれに驚きます。なぜなら、治安の悪い国では、路上に置いたが最後、自動販売機ごと盗まれてしまうからです。したがって、多くの場合、外国ですと、お店の中に、自動販売機が備え付けてあるものです。

 また東日本大震災時のことですが、配給の列に行儀よく並ぶ被災者の様子が、海外メディアでも取り上げられ、多くの賛辞の声を受けました。

 一方で、確かに日本人は和を乱すことを嫌い、形を整えることに美意識が強く出る傾向がありますが、これって悪くとるとどうでしょう。

 はみだすくらいの個性を排除し、無難やありきたり、平凡を重んじることになります。このようにマイナスに解釈してしまいますと、たとえば、日本人のスピーチはえてして何の凹凸もなく、魅力も薄いという印象になります。人とはあまりに異なる際立った発想もなかなか日本人にないので、世界の中でその姿はどんどん委縮し、埋没してしまいそうです。

 しかし、それでは、日本人なりに頑張って、自分らしさに走ろうとすると、今度は今度で無秩序が横行しがちです。

 ただただ空っぽの脳であること丸出しで、ルールからはみ出したアナーキズムの横行がオチだったりします。

 そうすると、もはや選択のしようがないように受け取るかもしれませんが、そうではありません。

 まずは日本人らしく、形をつくることです。野球なら、ホームランを打つために、基本的なバットのスイングがあるはずでしょうし、歌舞伎や音楽の世界も基礎的訓練が欠かせません。

 やはり学習面においても、基本的な数式の理解や言語のルール、歴史学の基礎的解釈など型ぬきにしては何も始まりません。

 何事も吸収すべき型が整えられてからはじめて、個性が発揮されるべきです。これを型破りと言い、ここから中身がぎゅっと詰まった本人らしさが、存分に躍動していくのでしょう。