[2013年12月13日]
運命は意志ある者を導き、意志なき者を引きずる。Fate leads the willing and drags along the unwilling.
ローマ帝国ユリウス・クラウディウス朝期の政治家であり、哲学者でもあるルキウス・アンナエウス・セネカの言葉です。
道義を説き、実践哲学を主張した彼の著作には「対話篇」「自然問題集」 などがあり、イギリスの劇作家シェイクスピアにも影響を与えたといわれます。
最も歴史的に有名なのは、ローマ皇帝ネロのブレーンとしての仕事でしょうか。後世「五年のよき時代」と呼ばれる時代にはローマの治世に貢献したと伝えられますが、その後は悲劇の人生を歩みます。
ローマ帝政時代の歴史家タキトゥスは、「年代記」の中でこう記しています。
「ネロの残忍な性格であれば、弟を殺し、母を殺し、妻を自殺に追い込めば、あとは師を殺害する以外に何も残っていない」
この師にあたるのが、セネカです。謀反の疑いを受け、命令により自殺をするという壮絶な最期を遂げます。
こうしたネロの所業は当然政治にも悪影響を与え、世を乱していきます。とりわけ知られているのは、キリスト教徒の大迫害です。ローマ皇帝の中で最も悪名高き「暴君」と形容されるのも無理はありません。
ちなみにネロの晩年は、各地の属州総督の反乱を受け、さらには元老院からも国家の敵との宣告をされ、ついにはローマを追われてしまいます。そして、自らののどを剣で貫き自害したと、歴史の書にはのこっています。
さて、冒頭の言葉「運命は意志ある者を導き、意志なき者を引きずる」──にあるように、それこそ「意志」ある時代のネロは、優れた補佐役セネカやブッルスに支えられ、名君の誉れ高い皇帝でした。しかし、その後、人を疑い、治世を歪めた彼はまさに皇帝としての「意志」を失い、自らの運命に翻弄されます。
意志を有し、克己の道を歩むか、それとも惰性の勝手気ままを続けるか──それはその人自身が選ぶことです。
勿論、教育にかかわる者として、生徒たちには、前者の賢明な道をつくってあげいたいと思います。