[2013年12月17日]
よろしければ、今いる部屋を一渡り眺めてください。そこには、今向かい合っているパソコン、あるいは、手元に携帯電話があるかもしれません。学生なら、かばんや参考書類、筆記用具がすぐに手が届く場所にあるかもしれません。言わずもがな、身につけている衣服があるでしょう。
さて、部屋の中に存在している「物」を確認していただいた上で、ぜひお考えください。
「果たして、この部屋の中に、全く誰かの意志が働かずに、存在するものがあるでしょうか?」
先に挙げたアイテムはすべて、人工的に製造されたものです。製造して販売したいという人間の意志が、確かに働いて誕生したものばかりです。
では、人間である自分自身がどうかといえば、これもまた自分の両親の意志が介在します。我々はこの世に生まれてきてほしいとの願いがあって誕生させられた存在です。科学的な技術をもととして、部品を組み込むことで製造されたものではないですが、両親の意志のほかに、また産婦人科の医師などの助けを借りて、この世に存在しているという言い方もできるでしょう。
全く、誰かの意志が働かずして存在する「物」として、人間が当てはまらないとしたら、他に何があるでしょう。
空気がそうでしょう。
またもうひとつあるとすれば、空気中や、我々の体に付着している微生物も、答えでしょう。
おそらく、今この部屋のなかに、誰かの意志が介在せずして、自然がもたらしたものとして存在するのは、空気と微生物くらいのものです。
これって、よくよく考えてみれば、ものすごいことではないでしょうか。
普段当たり前の生活環境として目の前にある種々の「物」「物」「物」……の数々は、誰かの意志が働くことによって創造されているのです。創り手の存在はこの目で確認できないかもしれませんが、そこにあるひとつひとつの「物」は、携帯電話にしても、ペットボトルの緑茶にしても、人間の意志と科学技術があって存在しているのです。
我々は、自分の力だけで生きていると思ったら大間違いです。確実に我々は、自然の恵みを基盤とながらも、誰かの力を借りて、ともに支え合うことで、快適な生活を営んでいるのです。
今学生なら、多くの場合、親の庇護の下、消費者として、商品を購入する側に回り、経済の循環のひとつを担っています。しかし、いつか、今学ぶ先に、商品や、サービス、仕組み、制度などを生み出す役回りを務めます。社会人になるということは、消費者と生産者の二つを兼ねることになります。今、自分の周囲に、いくつもの物質が、誰かの意志をもって存在するように、もしもあなたが大人になったなら、同じように不特定多数の人たちに、自分の意志をもって、商品やサービスなどを提供することになります。そのための準備として、学生期間があるという見方もできるでしょう。
自らの意志をもって、この世界に、何かを生み出し、その何かが人の役に立てるとしたら、これって、やっぱりすごいことだと思いませんか。
すごい! と思わず、うなりたくなるような仕事ができるって、これ以外に幸せなことって他にあるでしょうか。
いつか大人になり、社会というフィールドのなかで活躍する日が訪れるように、その準備期間として今の学生時代があります。学生時代は、目的地へたどりつくための大切な過程です。もちろん、高校や大学へ進学し、優れた学習の場でなお研鑽することも大切でしょうが、本当はどこで学ぶかよりも、どんな思考の技術を身につけるか、どれほど思考の回路を豊かにできるか、それが学生時代になすべきプロセスです。
もちろん人は学習環境に大きく左右されてしまうので、どこで学ぶかも、学習の効果をあげるうえで不可欠な要素です。だからこそ、当塾のような進学塾が存在しますし、志望校合格は、未来の自分を成功へ導く上で、効果的な「手段」であることは間違いないでしょう。
しかしながら、やはりここで強調したいのは、どこかの高校、どこかの大学へ進学したからと言って、絶対に自分の人生は決まりません。寧ろ、社会に出てからが、本当の意味でスタートです。この社会人のスタートを順調に切ることができるようにするためにも、最も大切なのは、何を学び、いかに思考力を身につけたかです。この学習の過程のひとつひとつを、ぜひとも、商品、サービスをクリエートする未来の自分の一点へとつなげてください。
意志ある人間が、心行くまで学問を修め、意志ある人間が、この世に商品やサービスを生み出し、そして、その意志ある人間こそが、ともに生き、ともに支え合う人間たちと、存分に幸福を分かち合うことができます。