[2013年12月25日]
いざ学習を目の前にしたとき、人がとる行動として、いくつか考えられます。たとえば、その人は、学習が今すぐ取り組むべきとわかっていながら、現実逃避するかもしれません。またある人は、現実から逃げる選択をとらず、かといって勇んで学習にのめりこめず、ただただ逡巡し、何をどうするべきか考え込むかもしれません。
まさに「案ずるより産むが易し」です。
決断できずぐずぐずすることほど、無益なことはありません。ためらって時間を浪費するくらいなら、とにかく前へ一歩踏み出すことです。たとえ他の人と比べてその歩幅は狭くても、少しずつ歩むその道こそ、解決の道です。
もちろん、計画を練ることも大切ですが、いったん学習計画を作成したなら、すぐに実行することです。完璧な学習計画などというものは存在しないので、定期的に計画をマイナーチェンジすることを、前もって織り込む必要があります。
若いうちは経験がないために、何かをしようと思ったとき、とかく悩みがちです。しかし、一度でも始めたなら、若干の計画変更を行いながら、リズムよく推進できるものです。そして後になってみれば、あのとき何で立ち止まっていたのだろうと一笑に付すことでしょう。このような一時の苦悩が取り越し苦労だったということは、実際によくあることです。
さて、古代中国では、杞という国の人が、いつか天が崩れ落ちてくるかもしれないと心配するあまり、食事ものどを通らなかったというお話があります。そんな故事から生まれた言葉が、杞憂です。
杞の国民の憂いのような、取り越し苦労などせず、学生ならば前を見て歩むことです。いくら振り返っても、見慣れたありきたりの景色があるだけで何の発見もありません。
ところが、凛々しく前へ進めば、いつか目の前に、見たこともない美しい景観が広がるはずです。