パソコン版を見る

個別・少人数集団の塾「あっぷ指導会」
船堀校(あっぷ船堀)

[2014年1月9日]

市川市本八幡の進学塾:切磋琢磨の受験期

「切」は切る、「磋」はあらく磨く、「琢」は形を整える、「磨」は磨く意味を持ちます。この四つを組み合わせた言葉が、「切瑳琢磨」で、学問を行い、徳を修めるために、ひたすら努力を重ねること。あるいは友人同士で励まし合い競い合ってともに向上を図ることを意味します。

 後者の意味を見ると、当塾当教室の学習風景が連想されます。入試まで後わずかのこの時期、それこそ、切磋琢磨する受験生たちの熱気であふれています。各科目基本書の反復学習、応用問題へのチャレンジ、そして入試さながらの過去問演習に取り組む姿は、あまりにひたむきで、その形相は真剣そのものです。一人ではなく、同じ志を持つ仲間たちが集い、それぞれ一意専心学習作業を推進する様子は、どんな景観に比べても決して負けていません。

 ちなみに、切磋琢磨の語源は、中国最古の詩集「詩経」にあり、衛国の武王を称えた詩に登場します。

有(げ)にも匪(あざや)かなる君子は
切(せっ)する如く磋(さ)する如く
琢(たく)する如く磨(ま)する如く

 この「詩経」にある切磋琢磨の語は、孔子の言行記録「論語」の中にも出てきます。

 子貢曰わく、貧しくして諂(へつら)うこと無く、富みて驕(おご)ること無きは、何如(いかに)。子曰わく、可なり。未だ貧しくして道を楽しみ、富み て礼を好む者には若(し)かざるなり。子貢曰わく、詩に云う、切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如しとは、其れ斯れを謂うか。子曰わ く、賜(し)や、始めて与(とも)に詩を言うべきのみ。諸(こ)れに往(おう)を告げて来を知る者なり。

 上記書下し文の、孔子とその弟子子貢のやりとりををまとめるとこういうことです。
「人格的に優れている人間は、学問を楽しむ貧しい人々や礼儀を身につけた裕福な人々で、そのことを言いかえると、詩経にある、切する如く磋する如く、琢する如く磨する如しの(切磋琢磨できる)人物だ」

 孔子も認める切磋琢磨という言葉であるなら、それを実践できる当塾の受験生たちはきっと自らの力で未来を切り開いていけるはずです。
 
「論語」にはまた後生畏るべし──とありますが、彼らの今の努力がどれほどの実を結び、どれだけ学力を伸長させるか、まさに後生畏るべしです。