[2014年1月11日]
すっかり冬枯れたさびしい季節を迎え、めっきりと肌寒さを感じます。この季節ですから、当然といえば当然でしょうが、色鮮やかに生える草花とともに、虫の姿はいつの間にかどこかに消えています。
確かにこの季節に似つかわしくない存在でしょうが、強引に話を持っていきます。本日のテーマはずばり、「虫」です。
虫いう語がふと耳に入ったとき、みなさんはどのように連想するでしょう。蚊や蝿のような害虫もいれば、スズムシやコオロギは、古来よりその美しく鳴く声ゆえに、秋の情趣をかきたててくれます。
また弱虫、泣き虫という言葉は、人の性質を冷たくあざける意を持ちます。それとは反対によい意味としては、一つのことに熱中する人のことも、虫という語が用いられ、本の虫、あるいは勉強の虫などと言ったりもします。
同じ言葉であっても、全く方向性の異なる意を持つということは、それだけ多種の昆虫が存在するからかもしれません。
多様性を持つというと、人間はもっと負けていません。見た目に異なる種々の人種という分け方もあるでしょうが、複雑な脳の回路を持つ人間は、同じ生き物の枠に分類分けされながらも、その性格や思考の仕方はそれこそ人間の数だけ数多です。
そうした個性豊かな人間を、一人一人尊重し、育てていくのが、教育の場ですが、それがまた教育の格別な魅力かもしれません。確かに人間の子供ほど、手がかかるものはありません。しかし、成長させるのに時間がかかる分、それを成し得た時の気分ほど最良のことはありません。
長く手のかかった子供たちが、もうすぐ入学試験に挑みます。きっと人生の中で最も真剣に立ち向かう時間にその身を置くことになります。どれだけ彼らが成長したかは、その時になってやっとわかります。
ただ成長の到達点を知るのにまだ時間があります。最後の最後まで彼らが一ミリでも成長できるように、後押ししてあげたいと思います。