パソコン版を見る

加藤学習塾
【岡山県岡山市の進学塾】

[2018年4月17日]

ニュートンと絶対時間

ニュートンと絶対時間

時間とはいったい何なんだろうか? 

アイザック・ニュートンは、時間を「いつでもどこでも同じ速さで進む『絶対時間』である」と考えた。そして、この絶対時間からみちびかれたニュートン力学は、物体の運動をうまく説明することに成功した。

しかし、絶対時間とニュートン力学では、「時間の向き」について説明できない。なぜ時間は過去から未来に向かって進むものであり、逆に進むことがないのだろうか? このなぞには、「エントロピーの法則」による説明が試みられている。科学的にあつかわれる時間の世界に進んでいこう。

時間のはじまりは? 「今」とは? なぞ多き「時間」

「時間は何ものにも影響されず、一定のリズムで未来に向かって直線的に突き進んでいく」、そんなイメージをもつ人も多いだろう。だが、歴史的にはこれとはことなる時間感をもった文明も多い。現代人の時間へのイメージは、あくまで歴史の過程でつくられたもののようだ。
たとえば古代ギリシアには、時間を円のようにまわりつづけるイメージでとらえた哲学者たちがいた。
「歴史は無限にくりかえされる」というわけだ。似た考え方は、マヤやインドなどの古代文明にも存在した。
突拍子もなく感じるかもしれないが、時間を円と考えれば、時間のはじまりと終わりというやっかいな問題をさけられる利点もある。
「過去」、「現在」、「未来」も不思議だ。「現在」は瞬時に過ぎ去り、「過去」となる。では「現在」とは時間的な幅をもつのだろうか? 
神戸大学名誉教授の松田卓也氏は「『現在』なんて幻想かもしれない」と考えている。現代物理学の方程式の中には「時間」は登場するが、「現在」は登場しない。
「現在」を考えなくても不都合はないのだ。
時間に関する疑問はつきない。科学が進歩した今日でもなお、時間はなぞに満ちているのだ。

時の刻みを正確にした振り子

昔の人々は時間をはかるためにさまざまな工夫をこらした。日時計、水時計、砂時計、ランプ時計、ろうそく時計、線香時計、などなど。そして14世紀ごろにはヨーロッパで機械時計が登場し、時のきざみはより正確になっていった。なかでも機械時計の精度を飛躍的に向上させたのは「振り子」である。

イタリアのガリレオ・ガリレイは(1564〜1642)「振り子の等時性」を発見した。一定の長さの振り子は、重りの質量や振れ幅に関係なく、一定の周期で規則正しく振動するというものだ。そして、1650年、オランダのクリスチャン・ホイヘンス(1629〜95)が振り子の等時性を利用して「振り子時計」を完成させる。正確な機械時計が普及するにつれて、「時間はつねに一定の速さで流れる」というイメージも民衆の間に広く定着していったと考えられている。

過去と未来が区別できない世界

時間はつねに過去から未来へと流れており、巻きもどすことはできない。過去と未来はちがうのだ。当たり前のことに思えるが、このことは物理学で説明できるだろうか? 
松田卓也氏は次のように語る。「わずかな例外をのぞいて、物理学の基礎法則は、本来は『時間対象』、つまり過去と未来を区別しないのです」。これはどういう意味だろうか?
地球とそのまわりをまわる月の映像をビデオで撮り、その映像と逆まわし映像とを、遠い星の宇宙人に見せることを考えよう。十分知能は高いが、地球についての知識はない宇宙人はどちらが本物の映像か判断できるだろうか?おそらく判断できないだろう。なぜなら、月が逆まわりに地球をまわる運動もまた力学的に矛盾がなく、あっておかしくない運動だからだ。つまりこの運動は本来、過去と未来の区別が存在せず、時間対象なのである。

月と地球の運動は「ニュートン力学」の問題だが、「相対性理論」も、ミクロの世界を説明する「量子力学」も、そして「電磁気学」も基礎法則はすべて時間対象であり、過去と未来を区別しない。

しかし、自然界には厳然として過去と未来のちがいが存在する。たとえば、コップからこぼしてしまった水は自然にコップにはもどらない。自然界には逆もどしをゆるさない過去から未来への時間の向きがあるのだ。この時間の向きは『時間の矢』と呼ばれている。「時間対象な物理学の基礎法則から『時間の矢』がなぜ生まれるのか? これは19世紀から論争がつづいてきた難問です」(松田卓也氏)。(『ニュートン』より)