[2018年7月10日]
昨日は、高校からの友人の誕生日でした。もう何年も連絡をとっていません。
彼は自分の好きなことをして生きています。海外でお店を出しています。また、新しいことに挑戦するそうです。
私も、以前の塾で初めて講師になったとき、講師は楽しくて、天職だと思っていました。
好きなことをして生きて、それがずっと好きでいられるのは幸せなことです。
今日は、納豆の日です。納豆を好んで食べようとは思いません。
別の理由ですが、枝豆や蟹も好んで食べようとは思いません。
今はどうなっているのかよく分かってないのですが、710年は、平城京ができた年号ですね。現在では、その年号が正しいのかは分かりません。以前、男性と考えられていた弁慶は女性だったのではないかということを聞いたことがあります。
時代が進むにつれて、過去は変わっていきます。未来は、刻一刻とやってきます。
昔、英語の動詞、助動詞に未来形があると言っていた生徒がいました。未来を表す表現はあると思っていましたが、未来形などないと思っていた私に、あると教えてくれました。まだまだ勉強不足ですね。
その子が目指しているのは、やはり中学校の英語教師です。
そんな素晴らしい勉強を教えてくれる教師に憧れて、教師を目指すので、きっと素晴らしい教師になってくれるでしょう。
そんな素晴らしい子が英語の教師を目指す。
刻一刻とやってくる未来は不透明です。
未来形があることに納得はしていません。
しかし、確かなことがあります、今日もとても暑いということです。
そして、納豆は醤油を入れる前に混ぜて、箸を何回も回転させた方が、粘り気が増して美味しいそうです。
粘り気が少ないマグマは、有色鉱物が多く、黒っぽいので、不透明です。
未来や将来も、考えて考えて、頭を何回も回転させた方が、不透明になります。かといって、何も考えずに決めると粘り気がない、平坦な盾状火山になり、盛り上がりません。
納豆も未来も適度に回転させるのがいいですね。
しかし、納豆は、わざわざ食べようとは思いません。
納豆と言えば面白い経験談がありますが、わざわざここで話そうとは思いません。
では、さようなら。