[2021年5月10日]
本日5月10日は四迷忌です。
今日は明治時代の小説家・翻訳家である二葉亭四迷(ふたばてい しめい)の1909年(明治42年)の忌日です。
二葉亭四迷について
1864年4月4日(元治元年2月28日)、江戸市ヶ谷合羽坂の尾張藩上屋敷に生まれました。
本名は長谷川辰之助(はせがわ たつのすけ)です。
父・尾張藩士・長谷川吉数は鷹狩り供役を勤めました。
専修学校(現:専修大学)卒業し、東京外国語学校(現:東京外国語大学)露語科中退しました。
坪内逍遙と交わり、1886年(明治19年)に評論『小説総論』を発表しました。
また、彼の勧めで言文一致体のリアリズム小説『浮雲』第一編(1887年)を発表、近代小説の先駆をなしました。
筆名の「二葉亭四迷」は、『浮雲』に対する卑下、特に坪内逍遥の名を借りて出版したことに対して、自身を「くたばって仕舞(め)え」と罵ったことに由来します。
続いて『浮雲』第二編(1888年)、第三編(1889年)と書き進んで、近代口語文体を完成させますが、まもなく文学に疑問を感じ、『浮雲』を中絶したまま内閣官報局の仕事に転じます(1889〜97年)。
その後、母校・東京外国語学校の教授を経て、満州に渡る(1902〜03年)などしましたが、その間にロシアの小説家イワン・ツルゲーネフ、ニコライ・ゴーゴリらの作品を翻訳しました。
また、小説では20年ぶりに『其面影(そのおもかげ)』(1906年)、『平凡』(1907年)を書き、的確な心理描写などに実力を発揮しました。
1908年(明治41年)、朝日新聞サンクトペテルブルグ特派員となり、ロシア赴任し、翌年帰国の途上、肺炎の悪化によりベンガル湾上の船中で45歳で死去しました。
シンガポールで火葬がなされ、遺骨が新橋に到着しました。
墓は東京都豊島区駒込の染井霊園にあり、シンガポールの日本人墓地にも墓があります。
ツルゲーネフを訳した『あひゞき』『めぐりあひ』(1888年)は最初の芸術的翻訳として知られています。
田山花袋、国木田独歩、島崎藤村など自然主義作家へ大きな影響を与えました。