[2021年10月14日]
以前、豪雨で小田川が氾濫し、矢掛町に大きな被害をもたらせたことは、記憶に新しいところです。井原鉄道が通り、街並みの中に脇本陣跡が有名な矢掛ですが、由来はどのようなものでしょうか。
矢掛町の地名の由来には幾つか説があります。 今回は2つの説をご紹介ます。
■温羅伝説に由来する説
矢掛町には桃太郎伝説の起源と言われる、『温羅伝説』の伝承があります。 温羅と戦う吉備津彦は、鬼ノ城へ矢を放ち攻撃を仕掛けます。 しかし温羅も負けじと矢で応戦した為、お互いの矢はぶつかり合ったり、矢が逸れて落ちたり…を繰り返しました。 最終的に吉備津彦が2本の矢を同時に放つ事で打ち合いは決着を見るのですが、矢掛町は、夜になり、見づらくなった為に外れた矢が落下した場所だといわれたいます。 矢掛町に落ちたのは、吉備津彦が打った矢で、温羅が放った矢が落ちたのは岡山市の矢坂だと伝えられています。 両者の矢がぶつかり合って落ちた場所は『矢喰神社』と伝えられています。
■情景由来説
矢掛はかつて『屋影』と書かれていました。 町内を流れる小田川へ家々の影が映りこむ様子がとても美しい事から、屋影と呼ばれるようになりました。 後に矢掛周辺は矢尻の生産をするようになった事から、漢字が転じて矢掛となったという説です。
ではまた。