[2022年1月6日]
野殿西町・東町の地名の由来
岡山市北区に野殿西町、野殿東町という対になる地名があります。
1974年に岡山市の野殿と大安寺の一部を合わせて誕生しました。
地名は富山(トミヤマ)城の城主が平常時に滞在する屋敷を構えていた事に由来すると考えられています。
富山城は山城で高い場所にあった為、宇喜多家が城を管理するようになった時代に麓の平野に普段の仕事をする場所(殿舎)を用意しました。その事から野殿の地名が生まれました。
富山城は矢坂山に築かれた山城です。 城の最古の記録は885年で、富山重興が頂上部を富山と名付けて居城としました。後に富山氏を滅ぼした松田氏が入り、更にその松田氏から城を落とした宇喜多直家によって宇喜多家が城を管理するようになりました。
関ヶ原合戦で宇喜多家が敗れ、小早川秀秋で岡山城主になった頃に廃城になったものと考えられています。 現在、城跡に建物の遺構は残されていません。土塁、石塁、堀切などが残されています。
ではまた。