[2022年1月29日]
中区中島の地名の由来
後楽園から旭川を北上していくと、中区中島があります。
中島は、元々は旭川の中に出来た中洲から発展した地区だと考えられています。
中洲は川の上流から運ばれてきた土砂が堆積した場所で、川岸とは繋がらずに川の中に島のように存在しています。地名の中島は中洲の地形を島に例えたものでしょう。
現在の中島は完全に旭川の東岸に位置し、南へ流れていきます。
かつて旭川は中島の南、竹田地区との間を南東へ流れていました。
これは宇喜多秀家による岡山城の築城と関連します。城の防備のために旭川の流路を変更したのです。しかしこの流路の変更は城下町に多くの水害をもたらしました。そこで池田光政の時代に、中島と竹田の間の旭川の旧河道を越流堤と放水路として整備し直しました。
これが現在の百間川です。
ではまた。