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加藤学習塾
【岡山県岡山市の進学塾】

[2022年4月19日]

大器晩成

みなさん、こんにちは。
江戸時代、伊能忠敬によってはじめて日本の正確な地図がつくられました。
電車どころかエンジンのついた車もない当時、測量の方法は徒歩しかありませんでした。移動手段に馬を使うこともできますが、目的が"測量"であるため、結局地道に徒歩で移動するしかありません。

伊能忠敬は商人の家の生まれですが、家督を長男に譲り、50歳のころから測量・天文学の勉強をはじめます。
そして1800年の今日、伊能忠敬は56歳で測量を開始します。
測量の方法は、側点海沿いの適当な位置を側点と定め、側点と測点の距離を"鉄鎖"や"間縄"という道具を用いて測るという、いたってシンプルな方法でした。そしてもちろん、これにはとてつもない時間と労力が必要になります。
また、土地の傾斜の角度を測るには、"枝先磁石"という道具がつかわれました。名前の通り先端に磁石がつけられた枝で、傾いても磁石は水平を保つ性質を利用して使われました。
ほかにも、"小象限儀""半円方位盤"という見た目は木製の大きな分度器を使って、"平行線の同位角は等しい"という数学的性質を応用した傾斜測量も行われました。

測量を開始した時のメンバーは、忠敬をふくめたったの6人だったといわれています。しかしその後、幕府天文方の下約が加わり、測量隊のメンバーは20人ほどになりました。
実際に地図が完成したのは1821年で、すでに伊能忠敬は亡くなっていました。
少人数からだんだんと規模が拡大しているところが、忠敬の夢が万人に応援されている感がでて良いですね。
忠敬の死後も、その意志はしっかり引き継がれました。

測量を開始した日は旧暦で4月19日ということで、現在の暦に直した6月11日が"測量の日"、現在の4月19日は"地図の日"と呼ばれるようになりました。
伊能忠敬の出身地、千葉県香取市佐原には、"伊能忠敬記念館"があります。
測量は、忠敬1人でもできなかったですし、忠敬がいなければできなかったと思います。
当時のチームだからこそ成し遂げられた偉業ですね。忠敬にとってはまさに"大器晩成"です。