パソコン版を見る

加藤学習塾
【岡山県岡山市の進学塾】

[2011年1月12日]

ご存知ですか?『干支の由来』

 昔々、ずぅーっと昔のこと。
 ある年の暮れに動物の神様が、動物どもに「元旦に新年の挨拶ば来い。したらば、一等から十二等まで選んで、その一年の間動物のかしらにし、人間世界を一年ずつ守らせてやるど」と、いうお触れを出したそうな。
 それを聞いた山や森や野の動物ども、「よっしゃー、われこそ来年のかしらになってやるどぉ」と、元旦を今か今かと待っておった。ところが猫は、どうしたものだか、神様のところへ行く日をポイッと忘れてしもうた。で、仲のいいネズミのところへ聞きに行った。
「ねずみどん、ねずみどん、ちょっと尋ねるが、神様のところへ行く日はいつだったかな?教えてくれんか」
 ほしたらネズミ、ケロッとした顔で言ったそうな、「そりゃあ、二日の朝に決まっておるがな」「ほうか、ほうか、二日だな。すまん、すまん」猫は、うれしがって帰っていった。
 こうしているうちに、大晦日になった。牛は、すっかり薄暗いところでモソモソ、モソモソやっておった。「おら、人一倍のろまやで、今夜たつことにするべ」と、旅支度をはじめたそうな。それを屋根裏からのぞいていたネズミは、ぴょんと牛の背中に飛び乗った。そうとは知らん牛は、夜道を霜をふみふみ御殿へ向かっていったそうな。やがて御殿の門へついた。
「ほー、誰も来ておらん。今年のかしらは、このわしに決まったようなもんじゃわ。」
 と、つぶやき、よだれを垂らしながら開門を今や遅しと待っておった。やがて、東の空がポッと白むと、ケケロッケー、ケケロッケー、夜が明けたーと、里の方で一番どりが時を告げ、門はおもむろに開いたそうな。
 牛は、にんまり笑うて門をくぐろうとしたとき、背中にいたネズミがぴょんと降り、チョロチョロっと門の中に入り、「明けましておめでとうございます。ネズミが新年のご挨拶にあがりました!」と、一番乗りを名乗ったそうな。で、牛は二番になり鼻の穴をべろでなめておった。
 とらは、千里の道をヒューっと飛んできたが三番になった。続いてうさぎ、たつ、へび、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、いのししが入ってきたところで、門はガチャーンと閉められたそうな。これが、十二支のはじまりというわけだ。
 ねこは、二日の朝早く門をダンダンたたいたが、神様に、「誰だと思ったらねこでねえか。おめえさん日を間違えただな。もう十二番までのかしらはとうに決まってしもうた。寝ぼけていねえで、つらでも洗って出直して来なされ」と言われ、すごすごと帰って行ったそうな。
 それから、ねこは毎日顔を洗うようになったが、嘘をこいたネズミをいまもって、恨み、ネズミを見つけると捕まえるようになったんだとさ。
  この話が職人衆の間に広まると、二日酔いかなんかで時間に遅れて仕事に来て仲間にはいれん者を「あいつはねこ年だ」と、言うようになったそうな。
というお話がありますが、ご存じでしたよね?
しかし、あくまでもこれは『お話』の世界です。

img1←クリック!img2←クリック!

干支の本当の由来は・・・

■■■十二支の種類■■■
 十二支は、中国の王充(おういつ)という人が、民衆に十二支を浸透させるべく、抽象的な数詞を覚えやすく馴染み易い動物に替えて文献を書いたことから始まります。実は、「子、丑、寅……」の方が先に存在し、動物の干支は後から便宜上当てはめられただけなのです。
では、そもそも十二支の始まりとはなんだったのでしょう?

■■■十二支のはじまり ■■■
 もともと十二支は、十二年で天を一周する木星の軌道上の位置(天の位置)を示すための任意の数詞でした。 つまり十二支は「年」を数える数詞だったのです。やがては右図のように「月」や「時」を数える数詞などにも用いられていきます。

img3←クリック!img4←クリック!

■■■十二支と干支の違い■■■
 また殷代では、「日(太陽の巡り)」を数えるための数詞には十干(じっかん)がありました。1ヶ月を上旬、中旬、下旬と十日ずつに分けた、その十日を単位にしたものが十干です。

 この十干と十二支を組み合わせた「十干十二支」を、一般に干支(えと)と呼んでいます。日本では干支=十二支という風に使われる事が多いですが、十二支の由来を厳密に言うとこの二つは実は別物なんですね!びっくり!