[2011年2月6日]
願い=強くなれ、優しくなれ、そして幸せになれ!
幸福なんだ、この人たちは。自分という馬鹿者が、この二人のあいだにはいって、いまに二人を滅茶苦茶にするのだ。つつましい幸福。いい親子。幸福を、ああ、もし神様が、自分のような者の祈りでも聞いてくれるのなら、いちどだけ、生涯にいちどだけでいい、祈る。
(太宰治「人間失格」より)
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次のページに載せた「ふたりの子供たちへ」は、「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」という本の一部です。この本を書いた井村和清さんは、自分が病気でもう助からないと知ったとき、残された時間で本を書くことを決意しました。そこには、自分が出会った人たちへの感謝の気持ちや、なにより二人の子供たちの幸せを願う思いが込められています。教育の仕事をさせてもらっている私にとって、もっとも大切な「人の幸せを願う心」を思い出させてくれる、この本はバイブル(聖書)です。
人は結局、幸せを求めているのだと思います。みんな幸せになりたくて日々、思い、感じ、考え、行い、悩み、苦しんでいるのだと感じます。人を幸せにできる人が素晴らしい人間であり、結果として人を不幸にしてしまうことはとても悲しいことなのだと思います。
塾はもちろん学習面を伸ばすところですが、子供の塾を出た後の数十年の幸せを思ったとき、合わせて人間面を育てることはもっと大切だと思います。時に、学校の先生やスポーツの指導者なども含めて、自分の言うことは聞く、自分の授業だけは良い、という先生が指導力のある先生だという風潮がありますが、幸せになれる自立した人間を育てるのが本当の指導だと私は考えます。ですから例えば、私個人は質問にこだわります。教えてもらうのをひたすら待つ受け身ではなく、自分から行動を起こす前向きな姿勢を持ってもらいたい、成績を他人に上げてもらうのではなく、自分で勝ち取ってほしい、そしてそれを通して人生を切り開く本物の力を育ててほしいという願いがあります。
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生徒の皆さんへ。
『これからどんな困難に逢うかもしれないが、負けないで、耐えぬきなさい。』強くなってください、自分を幸せにできるように。勉強だけでなく、部活動や、人間関係など、さまざまな困難に出会うでしょうが、それを乗り越えることで強さを身につけてください。嫌い、苦手だ、おもしろくないなどといった、自分の中の弱い心に負けないでください。
『心の優しい、思いやりのある子に育ちなさい。』優しくなってください、少なくともまわりの人を不幸にしなくてすむように、できればその人の幸せの手伝いができるように。それは例えば、悪口陰口を言わない、授業中まわりの人に迷惑をかけないといった、身近なところから始めることができます。そしてそれには、自分の中にある弱さと戦う強さがやはり必要です。この世にはさまざまな不幸があるけれども、人がつくり出す不幸を無くすことは、一人一人が心がけることで実現できるものです。みんなが幸せになれる社会を築いていってほしいと思います。
そして、保護者の皆さんへ。
『おまえたちがいつまでも、いつまでも幸せでありますように。』本当に子供のためになることをしていきましょう、子供の幸せのために。例えば、塾を辞めたり休んだりといった電話を受けることがあり、その中には子供の意見をただそのまま受け入れてのものではないかと感じることがあるのですが、それは本当にその子のためになることでしょうか。人は誰も、間違ったり、自分の弱さに負けたりすることがあるもので、子供であればなおさらです。必要な時には親の意見を子供に押しつけるのも大切なことだと思うのです。本当にこの子を大切にしているか常に自分に問いかけながら、魂を込めた言動をぶつけていきましょう。
『倒れても倒れても自分の力で起きあがりなさい。』子供を育てましょう、限りある時間のなかで。順番からいえば、親は子供より先に死んでいくもので、いつまでも面倒を見てあげられるわけではありません。まして塾講師や学校教師といった存在は、長くても数年の付き合いでしかありません。その意味では井村さんと大きな差はなく、本当に子供の一生の幸せを願ったとき、限られた時間ですべきことは何なのか…大人から子供への最大の贈り物、それが幸せになる力をつけてあげることなのだと私は思います。
皆さんの幸せを、心より願っています。