[2011年6月5日]
ロケットボーイ
4人の高校生がロケット研究に夢をかける実話に基づくストーリー、映画『遠い空の向こうに』。
1957年の10月5日はアメリカ国民にとって衝撃の日だった。前日にソ連がアメリカに先駆けて人工衛星スプートニクを打ち上げたのだ。ウエスト・ヴァージニアの炭坑町も例外ではなく、5日の夜は町の住民が総出で夜空を横切るスプートニクを眺めていた。
高校生のホーマーは炭坑責任者の父と母、アメフトの選手の兄の4人で暮らしている。ホーマーもスプートニクを眺めたその一人。彼にとっては運命の日でもあった。
彼はある決心をする。そう、ロケットを作るのだ。
さっそく遊び仲間と共に計画を練るが、知識不足は否めない。そこで、いつもクラスで仲間外れにされているクエンティンも仲間に引き入れることに。かくして「ロケット・ボーイズ」4人組が結成されたのだった。
さっそく、ロケット制作に取りかかる4人。けれども、ホーマーの父ジョンはロケットに夢中な息子に冷淡な反応を示していた。次第に4人にはある思いがわいてくる。それは、全米科学技術コンテストに出場して優勝し、大学へ行くための奨学金を得るという計画だった。
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レビュー
この映画は、ロケット研究に夢を追った少年たちの姿と、ホーマーと父親のジョンの親子の絆の再生を主軸にしています。
そして、ホーマーたち4人の夢を信じて支え続けてくれた教師、ミス・ライリ-や、ロケットの制作に陰ながら手を貸す炭坑の男たちのように人への信頼や優しさがさまざまな形で描かれています。
なぜ、ホーマーたちは大学に行く奨学金にあれほど一生懸命になったのでしょうか。それは当時の職業事情に大きな理由があります。
ホーマーたちの住む炭坑町に限らず、一般的に親の仕事と同じ仕事に子供が就くのは当たり前という考え方が根強かった時代でした。また、炭坑町は炭坑の労働者が炭坑の周りに住むことで形成された町です。
したがって、炭坑町は住民のほとんど全員が炭坑で働く労働者でした。炭坑で働く他に仕事はなく、親子二代で炭坑に入る者も少なくありませんでした。
そして、坑内火災や粉塵爆発、ガス爆発などの事故の犠牲の多さや石油へのエネルギー転換が進む中で、次第に炭坑は廃坑の憂き目をみるようになります。
ホーマーの父、ジョンが監督を務めるこの町の炭坑も同じ。労働者の解雇や給料の削減をはじめ、閉鎖が噂されるようになっていました。
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父親のジョンとホーマーの関係
ジョンは炭坑の監督という立場ながら、事故が起きれば日夜を問わず、命の危険を顧みずに現場に駆けつける男。今までに何人もの命を救い、その仕事ぶりは部下たちからも慕われ、厳しいが公正な人だと尊敬されていました。
一方で、そんなジョンは、妻にとってはジョンの命やけがのおそれが心配の種であり、ホーマーにとっては父を誇りに思うと同時に父の厳格さに反発を感じる一因でもありました。
そんな一家に転機が訪れました。恐れていたことが現実になったのです。
それは、ジョンが坑内での事故の救出活動中に負傷したというものでした。家計を支えるために誰かが働かなければなりません。
奨学金の決まっていた兄の代わりにあんなにも嫌がっていた炭坑仕事に就くことにしたホーマーでした。
彼は奨学金の重さを分かっていました。親子二代で炭坑で働くのが当たり前のこの時代。奨学金は町を離れて、新たな第一歩を踏み出す切符でした。
早朝から真っ黒になりながら地下の坑道で汗を流し、疲れ切って帰る生活。炭坑労働の苦労を身に染みてホーマーは感じたはずです。
もちろん、ロケットに対する熱意は衰えていません。ミス・ライリ―の言葉にも励まされ、炭坑の仕事を放棄してロケット実験に復帰します。
けれども、炭坑の仕事を経験したことはホ―マーに精神的な成長をもたらす契機になりました。炭坑労働はつらい肉体労働で、命の危険が伴い、負傷者の絶えない仕事。これは僕のする仕事じゃない、と少なからず嫌悪していた父の仕事を自ら経験したホーマーには父の仕事に対する敬意が次第に芽生えてきます。
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博士は僕のヒーローじゃない
最後のロケット打ち上げを見に来てほしいと父親にホーマーが頼むシーンの言葉。
「フォン・ブラウン博士は僕のヒーローじゃない。」
そう、彼のヒーローは誰あろう、父親のジョンでした。
父親のジョンが、ホーマーが父の代わりに炭坑に働きに出ていると知ってぱっと顔を明るくさせた場面が忘れられません。
彼は息子が炭坑の仕事をどう考えているか分かっていました。炭坑労働を忌み嫌う息子に対して寂しい気持ちがあったはずです。
それでも、やはりジョンはホーマーの父親でした。ホーマーのロケット研究にかける夢を応援する気持ちが少なからずありました。そうでなければ息子に頼まれて、仕事場のセメントを分け与えたりはしないでしょう。
結局は、父はホーマーが炭坑の仕事を選ばないことは最初から分かっていました。すぐにそれを受け入れられなかったのは、彼の素直でない性格はもちろん、彼の仕事に対する誇りと、公正で几帳面な性格のせいでもありました。
ジョンは炭坑監督なので、炭坑を嫌う息子を他の仕事に就かせるとは軽々しく町の人に言いにくいのです。ストライキが頻発する状況でホーマーが他の仕事を選ぶことを堂々と応援すれば、炭坑の仕事が労働条件がよくないことを公言するような者だからです。仕事に対してまじめなジョンは、炭坑労働者たちの志気を下げるようなことをするわけにはいきませんでした。
さらに、何よりも大きかったのは、息子がジョンの誇りにしてきた炭坑の仕事をロケット研究に劣る仕事だと考えていたからです。
ホーマーがロケット研究の第一人者、ヴェルナー・フォン・ブラウン博士にサインを貰って喜んでいた誕生日。
そして、労働問題の逆恨みから銃で狙撃された父親に怒りをぶちまけたあの日。
しかし、ホーマーは変わりました。あのときと今のホーマーは違います。
長時間で、辛くて、命の危険のある炭坑労働という仕事。会社から人員削減を求められ、労働組合はストライキを頻繁に張る状況下で、たくさんの部下をまとめる父の心労。
分かっていたつもりでも分かっていなかった父の苦労をホーマーは身に染みて感じ、父の仕事に初めて心の底から敬意を覚えました。
ブルーカラーの仕事はホワイトカラーの仕事よりも価値が低いと見ることはありがちなことです。ホーマーは、炭坑労働が自分の将来の仕事ではないと自分に言い聞かせるあまりに、知らず知らずのうちに父の仕事を疎んじていました。
ロケット研究という夢が父の炭坑仕事よりも高尚な仕事だ、と思いこんでいたことに気がついたのです。
ホーマーの兄をはじめとした町の人たちも変わりました。
最初は冷やかし半分だった町の住人たちが4人のロケット打ち上げを期待を込めて見にくるようになったのです。
そこには、世が下ってスペースシャトルの打ち上げを見にいく人たちと同じ心が芽生えていました。
自分たちの炭坑町の高校生がロケット研究という当時の最先端の分野で成功したことへの誇り高い気持ちと、宇宙という未知の場所に対する限りないロマンをロケットに託する高揚感です。
遠い空の向こうに見たもの。
それはホーマーたち4人のロケットにかける夢や奨学金で大学に行くという夢だけではなく、閉鎖される運命の炭坑町の人々の夢、そして宇宙に夢を見るすべての者の夢でした。
夢は見るものではなくて、追いかけるもの
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フォン・ブラウン博士って
フォン・ブラウンは、1912年(明治45年)に、ドイツ東部のビルジッツに生まれ、少年時代に宇宙旅行への夢をいだく。
博士の偉大さは、宇宙旅行を可能にするためのロケットを開発しようと心に決め、生涯、それを貫いていったことにあります。
12歳のときには、車に花火を取り付けたロケットの実験を行って大騒ぎになり、父親から激しくしかられます。
しかし、彼は、あきらめずに、ロケットの実験を重ね、そのたびに、大目玉をくらいます。
数学や物理学は落第点でしたが、それがわからないとロケットの設計ができないことを知ると、猛勉強を開始します。やがて、大学を卒業し、ロケット開発の仕事に携わるようになります。
宇宙旅行という、博士の大きな夢を実現させる力となったのは、何があっても、絶対にやめないという、この貫徹精神にあります。決してあきらめずに、命の限り突き進む執念・・・それこそが、成功の母であり、勝利の原動力となっていきます。
時代は、ナチスによる暗黒の嵐が吹き荒れていました。博士も、その烈風に翻弄されることになります。
ロケットの開発研究を行うには、ドイツ軍の仕事に従事するしかなくなっていました。そのなかでも、博士は、宇宙旅行のためのロケット開発の夢を捨てませんでした。
「自分の目的は、ロケット兵器の開発ではない。宇宙旅行を実現することだ」、博士は、胸の思いを口にした。そのため、ナチスの秘密国家警察に逮捕されます。
彼は、上司の尽力で釈放される。その約半年後、彼が中心となって開発したミサイルは、秘密兵器V2号となって、戦争で使用され、ロンドン郊外の町を破壊しました。高性能の新兵器となってしまったのです。悔やまれて、悔やまれてならなかった。
新兵器はできても、ドイツの敗戦は、すでに避けがたい状況でした。
フォン・ブラウン博士はらは、生命の危機を感じていた。新兵器制作の秘密を知り、その技術をもっている自分たちを、ドイツ軍や秘密国家警察が殺すことも懸念されたからです。
博士は、ドイツが連合国軍に敗れて、捕虜になるなら、自由の国・アメリカの捕虜になろうと決めます。
彼らは、米軍に投降し、アメリカに渡った。博士は、この新天地で、ロケット開発に取り組み、次々と成功を収めます。
しかし、夢である宇宙旅行が完全に成功するまで、決して満足することはありませんでした。
アポロ11号が月面着陸に成功し、地球に向かって帰り始めたとき、記者会見に応じたフォン・ブラウン博士は語りました。 「きょうという日は、長年にわたりきつい仕事と希望と夢とが一つに結びあわされた日です。が、宇宙飛行士たちは、まだ地球にもどっていません。そのことをわたしは忘れることができません。まだ、お祝いをするのは早すぎると思います」
ブラウン博士は、宇宙への冒険に生きてきました。
私たちも、内なる世界である夢に向かって、挑戦と冒険の旅を続けようではありませんか。
あくなき冒険心を燃やし、勇猛果敢に、自分自身の夢の道を突き進んで行こうではありませんか。