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加藤学習塾
【岡山県岡山市の進学塾】

[2011年6月29日]

コラム?  学問の神:菅原(すがわら)道真(みちざね)

コラム?  学問の神:菅原(すがわら)道真(みちざね)
「学問の神:菅原(すがわら)道真(みちざね)」という人?神?を知っていますか。

 受験生になると、実力を120%発揮できるようにと願い、また運良く受験に合格できますようにと受験合格祈願をする高校生や中学3年生が多くいます。通常5円や10円をポンと投げてお祈りする人が多い中、受験合格祈願だけは、「絵馬代」という木の札に願い事を書いて何百円か何千円かを納める方法をとるのが習慣になっているようです。加藤学習塾の各教室にもお札がありますね。
 日本で一番多く受験合格祈願に行く神社が、天神様(天満宮)です。天満宮は、全国に約1万社あるそうですが、日本の3大天神とは、福岡の大宰府天満宮・京都の北野天満宮・山口の防府天満宮だといわれています。私(山本)は、山口の防府天満宮のすぐ下にある中学校に通っていましたので、よく知る神社なのです。

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 「学問の神:菅原道真」=御神名「天満(てんまん)自在(じざい)天神」というとお硬く感じますが、私たちは小さな子供の頃から良く知っているはずなのです。例えば、わらべ唄の「通りゃんせ」(作詞不明)です

「通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ 
ちょっと通して下しゃんせ
御用のないもの通しゃせぬ 
この子の七つのお祝いに 
お札を納めに参ります・・・」

 また、2つの内どちらにするかを決めるときに使う
「どちらにしようかな 天の神様の言う通り」
の言い方は岡山での言い方ですが、大阪などでは、
「どちらにしようかな 天神様と神様の言う通り まだ決まりません もう決まりました」といいます。
 この「天神様」が菅原道真のことなのです。
 ところで、なぜ菅原道真公は天神様として神になり、天満宮に祭られるようになったのか知っていますか。その由来は大変面白いものなのです。そこで、簡潔にその由来を書いてみようと思います。

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<菅原道真公はどんな人だったか>

 菅原道真は、845年に生まれた人です。つまり、遣唐使が盛んに送られ、日本独自の国風文化が栄える直前の、平和が長く続く平安時代の人です。父も、祖父も当代を代表する学者の家に生まれ、自宅が学者を育てる塾であり、幼い頃から最高の勉強ができる環境に育ちました。しかし、幼時は病弱であり背が低かったそうです。ちなみに道真の子供は約14人いたそうです。
 菅原道真の頭の良さは、わずか18歳で官僚養成機関の大学寮(今の大学院のようなもの)で紀伝(きでん)という学問(歴史と文学)を学ぶ文章生(もんじょうしょう)(学生)になったことや、異例の若さの26歳で、日本最高の国家試験「方略試(ほうりゃくし)」に受ったことなどを見ればいかに秀才だったかが分かります。また、不世出の漢詩人として「菅家(かんけ)文集」や「菅家(かんけ)後集」を残しています。
 「東風(こち)吹かば 匂(におい)おこせよ 梅の花 主人(あるじ)なしとて 春を忘るな」

という有名な短歌を知っているでしょう。また「三代実録」という日本の歴史書を作ったの編集者の1人であり、「類聚(るいじゅう)国史」という政務家が使うの参考書の編集もしたのです。       (つづく)