[2011年7月31日]
歴史の雑学
●カステラ
長崎名物などで有名な「カステラ」はポルトガル語だが、元々はスペイン領の北方にあった国の名前。 なのでポルトガル人はスペイン人のことを「カステラ人」と呼んでいた。
●ペリーと通訳
1853年にペリー率いる黒船四隻が日本にやってきた時、黒船には日本語が話せる者は一人もおらず、日本にも英語を話せる人間がいなかったため、通訳を間に二人おいて、オランダ語で話し合った。
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●秀吉のあだ名
織田信長が秀吉のことを「猿」と呼んでいたというのは後世に作られた話で、実際は秀吉の事を「禿鼠(はげねずみ)」と呼んでいた。
●関ヶ原の戦い
徳川家康と石田三成が天下を賭けて戦った関ヶ原の戦いだが、東軍総大将は徳川家康に対し、西軍総大将は石田三成ではなく毛利輝元。
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●バレンタインデーって何があった日
西暦3世紀のローマでは、皇帝クラウディウス二世によって兵士達の結婚が禁止されていたが、キリスト教司祭であるバレンチノ(英語読みでバレンタイン)が、皇帝に逆らって結婚をさせていたため、捕らえられて処刑されてしまった日が2月14日。
●ホワイトハウスの由来
元々ホワイトハウスは白い建物ではなかったが、イギリス軍によって放火されて焦げてしまった外壁を、白いペンキで隠すように塗りあげたために白い建物となった。
●捕鯨
現在では、日本人が捕鯨をすると欧米人の反感をかうが、日本を開国させたペリー提督率いる黒船の一団が日本に来た大きな目的は捕鯨をするため。