[2012年12月4日]
真の謙遜とは、結局その人が、常に道と取り組み、真理を相手に生きているところから、おのずと身につくものと思うのであります。(森 信三)
◇上の名言の中にある「道」とは、何でしょうか。剣道や柔道、茶道と言ったある芸を追及する道という意味でしょうか。それとも、その芸を成り立たせている本質にたどり着くための修行のプロセスでしょうか。もし、上の名言を前者でとれば、それは、処世術に長けるだけの人になる道です。これでは、真の謙遜は、生まれないでしょう。打算的な、状況判断的な謙遜になってしまうでしょうから。
◇だから、上の名言は、後者の「道」として、捉えるべきです。人生を成り立たせている本質、人間関係の本質を突き詰めるための修行としての「道」なのです。そういう「道」を自覚的に歩んでいる人は、信念に従って生きていこうとしますから、状況と信念が一致している時は、処世術に長けているように見ますが、状況と信念が一致できない時は、信念に従って、状況を変えようとすることになります。そうなれば、一人でも異議を申し立てる特異な人に映ってしまうのです。
◇誰にでも媚びへつらうことが謙遜ではありません。自分自身の存在と他人の存在を尊重する姿勢が真の謙遜です。状況状況で、謙遜が変わっていくことはないのです。