[2013年3月2日]
岡山の中学・高校受験の塾
「私は○○である」
私は、○○である。という表現は非常に簡単な表現でありながら、奥深い表現です。
吾輩は「猫」である。
人間は「考える葦」である。
などは有名ですね。「これから猫の視点で話すぞ」という宣言であったり、「人は、思考を持った葦の様に生きることができるぞ」という提案であったり、これが、「人間は考える大木だ」となれば、大分生き方が違ってきそうです。
さて、話を進めましょう。
「私は、男である」
「これから、男の世界の話を始めるぞ」ということになります。
この表現は、話の枠組みを提示します。また、この表現は別の意味もあります。
「私は、男である。だから、女性の花子の気持ちを理解できない」
となれば、「男だから女性の花子の気持ちがわからない」というように私の可能性を制限することになります。異論もあるかもしれませんが、この話が正しいとして、この人が女性の花子の気持ちを理解するには、「私は、何」であればよいでしょうか。
「私は神様である」とまで、言わなくても、「私は人間である」とすれば、
「同じ人間だから花子の気持ちは理解できる」となりますね。
「私を男」だけに既定してしまえば、女性の花子の気持ちはわからないかもしれませんが、別の私、つまり「人間としての私」が登場すれば、今までできなかったこともできそうです。
あなたの中には、どんなあなたがいますか?
「私は、○○である」を沢山書き出してみてください。
書ければ書けるほど、沢山の事柄に対応できる人間ということになります。
ご自分の可能性を更に広げてください。
(マネジメント・ブレイン・アソシエイツ 井上郁夫氏 作)