[2013年6月3日]
岡山の中学・高校受験の塾
野心はひとつの悪徳なるも、それは美徳の父ともなりうる。(クウィンティリアス)
◇野心を持つというのは、若輩者であれば、それは悪いことでないかもしれません。野心を持ったお蔭で、勉強意欲がわき、積極性が出て、そしてみんなと協調することを学ぶかもしれないからです。何も目標を持っていなければ、ただぼーっと過ごしてしまうことになるかもしれないところを野心のお蔭で意識的に日々を過ごすことが出来るようになるからです。
◇野心的に生きていくということは、実は、ある目的に適った生き方をするという意味では、美徳になりえます。しかし、その野心も最後まで自分について回るのであれば、それはちょっと問題です。野心はあくまで自分自身のためだけの目的だからです。こんな目的では、大きなことは出来ませんし、みんなの協力も仰げません。
◇動機は不純でも、やっているうちに純粋になってくるものです。野心が美徳になることだって大いにあり得ます。野心すら持たないようではダメだということです。しかし、いつまでも野心を抱いているようではこれまたダメです!
(マネジメント・ブレイン・アソシエイツ 中土井鉄信氏 作)