[2016年8月29日]
高校生の頃、自分の強みを語れる同級生を羨ましく思い、就活中の大学生の頃、
スーツを着て堂々と面接に挑む友人をまぶしく眺め「強く振る舞えない自分は
何てダメなやつなんだ」とへこんだことも多々ありました。
英雄アキレウスにはアキレス腱が、武蔵坊弁慶には弁慶の泣き所という弱点が
あります。
欠点や弱点、不足があると言うことは、むろんそれが致命傷にもなることも
ありますが、新たな「強さ」の契機にもなるのです。
弱さは強さの欠如ではありません。弱いとされているものこそ特有の鋭さや深さ、
美しさが宿ることもあります。
例えば「数学ができない」は「できるの欠如」ではないのです。小3の時、かけ算が
できなくて・・で入会した中3生が中3相当の内容を修了した現在、数学の実力は◎
です。これはまさしく新たな「強さ」の始まりです。
教室ではこの様な生徒の瞬間に出会うことがあります。少しは「縁の下」になれたのかな
と教室から帰る車中、一人ニヤリ・・これが私の「縁の下」の誇りです。