[2020年12月11日]
12月も中旬を迎え、今年も残り20日、早いものですね。この1年はコロナ、コロナとそればかりでしたね。ここに来て、更に感染者が増え、今朝の報道では新潟明訓中学の入試が延期になったとありました。入試に向け並々ならぬ努力を続け、あと少しで本番!というこの時期での延期。受験予定だった子どもたちが不憫です。コロナだから致し方無い、とは思いますがやるせない思いです。
この先、来月には大学入試、私立高校入試、3月には公立高校入試と、子どもたちにとって人生の節目となる大切な試験が控えています。これ以上コロナが蔓延することなく、無事に入試が実施されることを心から願っています。皆様も、どうぞお体に気をつけ、感染予防対策をしっかりしてお過ごしください。
さて、先日のブログで我が家のハリポタブームについて書きましたが、今、我が家だけでなく教室でもちょっとしたハリポタブームです。と言っても、久しぶりにハリーポッターを読んで、ドはまりした私が子供たちにガンガンにすすめただけなのですが…(-_-;)。塾生も先日の映画を見ていた子が何人かいたので、ちょうどタイミングよくという感じなのでしょうか。本を買ってもらった子、図書館で借りた子と様々ですが、毎週の授業前は、「どこまで読んだ?」から始まり、ひとしきりハリポタ談議に花をさかせています。昨日は、中学生でも読んでいる子を発見し、やはりハリポタトーク(^^♪。楽しい日々です。
最近、ネットで「鬼滅の刃」を子供に見せるか見せないか?論争が出ていますね。私も息子と一緒に小説を読み、アニメを見ました。登場人物たちの家族に対する愛情や仲間に対する信頼と愛情があふれ、魅力的なキャラクターが登場し、ストーリーも面白い!!『悪』である鬼を退治するにもかかわらず、その鬼に対しても優しさを忘れない主人公の振舞には感動しました。これだけ人気を博すのは当然の作品ですね。
しかし、小説ではあまり感じなかったのですが、やはり映像となると、一緒に見ていて「子どもにこんなシーン、見せて良いかな?」と思うシーンが何度かあり、思わず隣にいる息子の目を覆ってしまいました。なかなかシュールというか、グロテスクなシーンが多いですね。
ある方の投稿に、
『まだ人生経験もない子供が「鬼滅の刃」を見たところで感動できるわけがない。切なさ・理不尽さ・怒り・悲しみ−そんな様々な感情を理解した上でグロテスクなシーンも感動へと変わるが、そういう感情を感じ取ることが出来ない子供にはグロテスクなところだけが残る可能性がある』
とありました。この言葉が私には非常によく刺さりました。言われてみれば、私自身、小さい頃に見た『北斗の拳』は、「お前はもう死んでいる」のセリフと「ヒデブ」と叫びながらバラバラになるグロテスクなシーンしか記憶にありません。
私が、「鬼滅の刃」に引き込まれた理由は、登場人物たちの複雑な心情が絡み合いストーリーが流れていくところにありました。悲しみや不安を抱えながらもひたむきに生きる主人公に引き込まれ、ユーモアあふれるシーンでは吹き出したり、時には涙したりてしまいました。息子はそういった様々な感情の入り混じったシーンよりも、単純な戦いのシーンや、必殺技が飛び出るシーンが単におもしろかっただけのようです。
先にお話した『ハリーポッター』でも『鬼滅の刃』でもそうだと思うのですが、どんな漫画でも小説でも映画でも、その作品を鑑賞し、真に理解するには「適齢期」というのがあるのではないでしょうか?単純に『字が読める』とか『漢字が読める』ということではなくです。
私としては、やはり『鬼滅の刃』は、主人公やそれぞれのキャラクター、鬼たちの『心の機微』がある程度理解できなければ、あの作品の真の面白さを理解できるとは思いませんでした。『ハリーポッター』でも同様で、やはり少なくとも、小学校に入り「学校生活」という経験を積んでからでなければ、登場人物たちの様々な感情の動きや出来事の意味、面白さなどが分からないと思います。
大ブームのものは大ブームのものとして良いのですが、どんな作品にも適齢期があり、やはり適齢期に合った作品を鑑賞することで、その作品の真の意味をきちんと捉えることができるーということを前提に、様々なものを受け入れていくことが良いのではと思いました。息子も喜んで「鬼滅の刃」を見ていましたが、彼が成長し、もう少し色々な人生経験を積み、人の心の機微が多少なりともわかるようになったら、いつかもう一度「鬼滅の刃」を一緒に見たいと思います。きっと、今の感想とは違う感想を主人公やストーリーに持つのではと思いますし、また、そうであって欲しいと思います。