[2011年8月19日]
『高校は行けるトコロどこでもいい〜』
なんて言葉を最近よく聞くようになりましたが、この言葉を聞くと、腹が立つやら情けないやら・・・。
まだ14・5歳でなぜ?という思いでいっぱいになります。彼ら・彼女らの14・5年の短い人生経験の中でそのように思ってしまう何があったの??と不思議に感じてしまいます。
よくよく話を聞いて分析してみると、この言葉を発する中3生は二派にわかれるようですね。
一つは、「あきらめ」派。もう一つは「努力したくない」派。どちらも似ているようで違うんですよね。
「あきらめ」派は、今の成績では○○高校以上は無理だから、自分の現在の学力的にはせいぜい□□高校ぐらいしかないな〜と思っている。しかし、行けるのであれば、○○高校に行きたいな〜という希望が心の片隅にある。だから、一応勉強をやろうと努力はする。
「努力したくない」派は、勉強したくないから何もしなくても入れる高校でいいの〜と思っている。だから、何もしない。
「あきらめ」派と「努力したくない」派では、行動に大きな差がありますが、共通して言えることが、高校でやりたいことや、将来の目標がないということです。だから、高校の選択がテキトーになる。きっと「テキトー」と言ってしまうと彼ら・彼女らからすれば心外かもしれませんが、自分が過ごす三年間の場所を「行きたい場所」でなく、「行ける場所」を選択しようとする行為は「テキトー」と言われても仕方ないと私は思います。
しかし、彼ら・彼女らがこんな行動するのは、本人の「やる気」や「根気」に起因するのは事実ですが、そこに至るまでには周りにいる大人たちの影響が大きいかと思います。
また、子どもたちの『どこでもいい』発言の増加と同じように増加してきたと感じるのは、面談時、保護者の方の『うちの子できないんです』もしくは、『○○高校はうちの子には無理ですよね〜』発言。これらの言葉に準ずるような言葉が本当に増えました。
保護者の方からすれば、日常生活の学習時間の少なさと、今までの成績結果から判断していらっしゃることはわかりますが、なぜ本人の目の前でその言葉を発するのか?自分の親からそういわれた子どもが『そんなことはない。自分はやるぞ〜!』なんて奮起するでしょうか??
確かに、全く勉強していない状態であるにも関わらず『やればできる』と思うことも問題だとは思います。学習は「やれば」でなく「やる」ことが全てだからです。もともとの能力がどれだけ高くてもやらなければ学力の向上はありえないからです。でも、身近にいる大人から「無理」のハンコを押されてしまえば、やる気を持たなくなるのは当然です。
来週から学校が始まります。9月の半ばには前期期末テスト。上山中では中3生の実力テストが24日にあります。目の前の学習に向かうには、その先の目標がなければ走っていけません。子どもたちが将来の目標を持てないのは、大人になって社会に出ることがどういういことなのかが想像できていないからです。
先日も子どもたちが『○○ちゃんの家は自営業だから勉強しなくて中卒でも働く場所があっていいよね〜』なんて会話をしていました。自営業で商売をやっていくことがどれだけ困難なことか彼らには想像ができないのです。なので単純に「高校に行かなくても働く場所がある」という発想になるんですね。
今週末は中学生にとって夏休み最後の週末となります。是非、この機会に保護者の方には、実際に社会に出ている大人の一人として子どもたちに接していただき、社会にでて働くことについてお話しいただきたいと思います。彼ら・彼女らの社会に対する視野を広げることができるかどうかは周囲の大人次第です。真剣に「将来どうしたいのか」を話し合ってみてはいかがでしょうか?