[2012年1月20日]
「『菊』っていつ咲く花ですか???夏ですか?」
「『僧』ってなんですか???」― ・・・ぎょえ〜っ(・_・;)
ちょっと前に衝撃を受けた生徒との会話です。
色々な文物であふれる都会ならいざ知らず、自然が多く残っているこの新潟で(・_・;) ま、昔と違って地方都市でも確かに最近は年がら年中季節関係なく色々なものが店頭に並ぶ時代にはなりましたしね・・・。
多分それだけでなく、自然の文物などに興味がわかないくらい今の時代の子どもたちにはもっと面白いものが巷にあふれているということも原因なんでしょうね。だから季節の花を楽しみにしたり、この時期ならではの食べ物を楽しみにしなくても十分日々の生活を楽しむことができる。そんな情報よりもっと刺激的で楽しい情報が自分の生活をより楽しくしてくれているんでしょうね。
何かこんなこと言ってるとただの年寄がいう「今どきのわかいもんは・・・」的な発言ですよね。
そ〜んな愚痴っぽいことが言いたい訳ではありません。
「菊の時期は秋」なんていうのは大人からしたら書物で学ぶ「学習」ではなく単なる『一般常識』でしかないのですが、現代の子どもたちにとってはこれは『学ぶべき対象』となっているということなんです。そして、そのことを周囲の大人が気づかなければいけないということです。
随分昔の話のネタになりますが、都市圏の私立の幼稚園や小学校の「お受験」をされる方は、子どもをスーパーには連れて行かないで、各時季の旬な野菜や切り身でない魚の姿を見せるために、敢えて昔ながらの八百屋や魚屋に連れて行くとか。
しかし、現代はこんな行動は「お受験」をする子どもだけに限られたことでなく、どんな子どもにも当てはまることになってきていると思います。小学生から中学生まで、とにかく国語の文章題で「えっそんな言葉が?」と思うような言葉や内容を理解できなくなってきているのです。
特に中学生に古文を解かせていると驚きの連発です。公立高校入試で古文は出題されます。公立高校の入試レベルではそんなにテクニカルな古典文法や古語は出てきません。本文の横に注もついています。注がついていない部分は「一般的に知っていること=一般常識」で考えれば、意味が分かるところです。もしくは、その題材が日本人なら知っているだろう的な幼児用の絵本にもなっているお話であったりします。
ところがところが・・・冒頭の会話にもあるような言葉を知らないというのが現実です。
時代の流れとともに、学習するべき対象が変わってきているんですね。大人にしてみれば、そんなの普通に生活していれば覚えていくだろうと思っていることが、現代の子どもたちにしてみればそうでないことは意外と多くあることに気付かされます。
出来れば小学生ぐらいのうちに、本だけでなく色々な経験をさせたり、大人からしたら「そんなの知っているよね」と思うことでも家庭で話題にしてみることが子どもたちの知識の底上げにつながっていくと思います。ちょっとしたことでもそうした工夫次第で学習に活きてくることってたくさんあるんだなぁ〜と最近では特に思います。