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啓新セミナー

[2014年10月10日]

ご褒美は何?

朝晩はかなり涼しくなりましたが、ここ数日は気持ちの良い秋晴れが続いていますね。日中は少し汗ばむぐらいの陽気で過ごしやすい毎日ですね。中学校は前期が終了し、秋休みです。今日は部活動の新人戦、中3生は昨日が実力テストとなかなか忙しいようですが、短い休暇期間ですが少しリフレッシュして後期も頑張ってもらいたいと思います。

少し遅くなりましたが、恒例の「期末テスト得点UP」の掲示をしました。今回も数名が100点・99点という好成績に加え、多くの生徒がそれぞれの教科で得点UPしました。定期テストはテストご毎に平均点が違うため単純に前回のテストとの比較は出来ませんし、平均点が下がれば得点UPは難しいものですが、子どもたちにとってはやはり前回と比べてどうであったかは大きいものです。その『頑張り』を一緒に喜びたいと思います。また、塾生は自分の名前が掲示されることを励みに思ってくれているようなので、そういう子どもたちの姿を私たちも嬉しく思います。

今回テスト後の振り返りの面談を全員と行っていますが、その中でとても嬉しい報告を聞くことが出来ました。
今年の4月から入塾した生徒なのですが、入塾後2回の定期テストを終え、入塾前より100点近く合計得点が上がりました。本人も当然のことながらご家族の方も喜んでいらっしゃるようでテスト後はご家庭で『お祝い会』をしてもらえたようです。

昨今、テストなどで得点UPすると「ゲーム機を買ってもらえる」とか「携帯電話を買ってもらえる」などの話をよく聞きます。テストでの頑張りを子どもが望む物でねぎらってあげようという親心なのでしょうが、私個人としてはよく思いません。「自分の望む物が得られる」ということが勉強のモチベーションとなるのでしょうが、「物を得る」ために勉強があると思わないからです。大人が労働の報酬で望みの品物を得るのとは意味が違うと思います。ご家庭ごとの考え方がそれぞれあってそういう訳ではないかもしれませんが、悪い言い方をすれば『物で釣る』ということになるのでは?と思ってしまいます。また、子どもが望む『物』がエスカレートしていったらどうされるのか?と心配に思います。

『お祝い会』はそうした「ご褒美の『物』でのねぎらい」とは意味が違うと思います。頑張ったことを家族みんなで喜び、「お祝いする」ことは素敵なことではないでしょうか。自分なりに頑張ったことを家族が認め、ねぎらってくれる「体験」が子どもたちの心に残り素晴らしいことだと思います。私は学生のうちは、形として残る「物」だけではなく、心の中に残る「小さな成功体験」の積み重ねを多く残してあげることの方が大切だと思います。一時の楽しさを与えてくれる「物」よりも、心に蓄積される素敵な「体験」を多く持っているかどうかは大人になり社会に出たときに必要とされる「折れない心」や「目標を追い続ける前向きな姿勢」に繋がっていくと思います。

また、何よりも「勉強」は親のためでなく自分のためにあるものです。自分のためにすることが「物」で釣られなければ出来ないのはいかがなものかと思います。勉強は楽しいものもあれば嫌なものもあります。嫌な事を自分自身の力で乗り越えるという経験を学生時代にすることは必要なことだと思います。そんな心の強さを作ってくれるのも勉強することの意味の一つだと思います。