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啓新セミナー

[2014年11月14日]

○ばかりのワーク

昨日はひどい天気でしたね。今朝もぐっと冷え込み、いよいよ冬本番ですね。しっかり寒さ対策をして風邪をひいたりしないように過ごしたいと思います。

さて、今週は小針中・鳥屋野中・黒埼中で後期中間テストが終了し、残すところは上山中となりました。テストが終了した生徒はすっきりとした表情で昨日も授業に来ていました。来週以降の答案返却が楽しみです。上山中の生徒はまさに追い込みという感じで、黙々と問題演習に取り組んでいました。この土日もテスト対策授業を行いますが、万全の態勢で臨めるように私たちも精一杯頑張りたいと思います。

テスト直前期になると学校のワークの進捗状況も塾でチェックするのですが、毎回チェックしていて気になることがあります。どのページも全て○ばかりの子がいるのです。

「○ばかりのワーク」、一見するとよく理解していて出来るという状態なのですが、実際にワークの問題でちょっと難しめのものに関して突っ込んでみると答えられないことがあります。字際に日々指導している生徒なので、どれぐらい出来て、どのあたりが弱いかはわかります。また、いくら学校のワークとはいえ、全問正解という力があるかそうでないかもわかります。よくよく聞いてみると、答えを見て解いたり、もしくは答えをそのまま写しているだけだったりでも○を付けているようでした。

わからない問題を考えるのに時間をかけすぎることが良いわけではありません。また、答えを写すことが悪いわけでもありません。しかし、今自分が持っている力で解けた問題とそうでない問題がはっきりわかる状態にすることは大切です。ですから、わからなくて答えを写すのであれば、赤色で書くなどの工夫が必要です。

「答えを写し、その解答に○をつける」という行為は、宿題が面倒くさいから初めから答えを写す「作業」として行う場合と、ワークに「×を付けるのが嫌」でそうしている場合があります。結果的には同じことなのですが、「×を付けるのが嫌」という状態の子の方が心配に思います。

「面倒くさいから」という子の方は、自分自身の目標がはっきりしてくると、きちんとやれるようになることが多くあります。しかし、「×を付けるのが嫌」という子の方は、自分のできなさを認められないため、思うような結果が得られないと自分には無理だと思い込んで投げてしまうか、他人のせいにして逃げてしまうことが多いです。

これは勉強だけでなく何にでも言えることだと思いますが、何においても「出来ることと出来ない事」があります。自分が「出来ない事」をきちんと自分自身で受け止めて認めることが出来るようになるためには必要なステップです。自分が出来ないことを認められなければ、出来るようにするために何をしたらよいかを考えることが出来ません。

実際に、「×を付けるのが嫌だから答えを写して○をつける」ことをする子の多くがテストや受験直前になって「何をしたらよいかわからない」と言います。こうした行為は自分自身でステップアップするための階段をくずしているのだと思います。

このような行為をする要因はいくつかあるかと思いますが、小学校中・高学年ぐらいからこの行為が始まるのを多く目にします。初めのうちは「良い子に見られたい」「ほめてもらいたい」「×を付けて叱られたくない」などちょっとした子どもなりの見栄なのかもしれません。それがいつしか、その行為自体が普通に思うようになっていくのでしょう。結果として自分の学力を自分でごまかしていることに気付かず、定期テストや模試の結果で現実をつきつけられることになるのです。

問題集や学校のワークなどはどちらも日々のトレーニングに過ぎません。自分の今持っている力を確認するために日々のトレーニングがあるということ、出来ないことがあるからトレーニングをしていることを認識して学習することは学力アップには欠かせません。「×を認める」ことはとても大切です。×があるからこそステップアップできます。出来ないことを自分自身で認めることができるというのも「力」の一つなのだと思います。