[2015年10月16日]
秋も深まり、街路樹が赤や黄色へと色づいてきましたね。先日息子の幼稚園では『芋ほり遠足』があったため、最近の我が家の食卓にはさつま芋料理が欠かせません。さつま芋を見ると、小さい頃母と庭で落ち葉を集め「焼き芋」をしたことを思い出します。最近はそうした「たき火」をすることはできなくなり、「焼き芋」は買うものになってしまいましたね。時代の流れとはいえ、少し味気なく思います。先日も塾に来ている小学生と話していると「たき火」を知らない子が多くいました。「落ち葉を集めてたき火をして『焼き芋』をする」なんてことは、“昭和世代”の良き想い出なんだな〜としみじみ思います。皆さんはどのように『秋』を感じていらっしゃいますか?新潟は米どころなだけにやはり、「新米」でしょうか??
少し前の新潟日報の『座標軸』で読んだのですが、最近の子どもたちの中には保育士さんが紙芝居を出すとその絵を指でス〜っとなでて絵をスライドさせようとするそうです。絵が動かないことを知ると興味がなくなるようでお話を聞こうとしなくなるとか。スマホの影響なんでしょうね。ちょっと驚く内容でした。小さい子どもたちにとって、指で触ると絵が動いたり、画面が変わるというのはそれだけ衝撃的な事なのでしょうね。以前読んだ学習と脳の関係に関する本に、2つ以上の感覚神経を使って得た情報は記憶に残りやすいとありました。また、他の書籍でも画面をタッチして映像に変化が起こることで楽しい・おもしろい世界が広がることから、小さければ小さいほどスマホやタブレットなどに依存する傾向が強くなるともありました。
スマホやタブレットなどを使った学習方法はとても多くなっています。そうした学習方法を否定するつもりはありませんが、学習だけでなく社会生活全般を考えると、子どもたちにとってまず大切なことは『人の話を聞く』ということではないでしょうか?スマホなどの機器の使用がすべて悪いわけではありませんが、対“ひと”との関係が十分に出来てからでも与えるのは遅くないのではないでしょうか?
長年この仕事をしていて、ここ最近特に感じることは、「最後まで説明を聞く」ことが出来ない子どもが増えていることです。スマホ・タブレット・パソコンのどの機器の使用にも言えることですが、こうした機器から情報を得るときは自分の欲しい情報だけをピックアップして得ることができます。それに対し、対面で説明を聞くということは、その説明の中には「わかってるよ」と思うものが含まれることもあります。そして、そうした『わかっていることを聞く』ことが時間の無駄と思うのかもしれません。早く結論だけを知りたがる子が増えているように感じます。時間の短縮という意味では機器を使用することは良いのかもしれませんが、『必要な無駄』というものが学習にはあると思います。ましてや、私たちは一人ひとりの状況を見て、必要なことを絞って伝えているのです。その子にとって無駄なことではないのですが・・・。
また、ここ数年、様々な学習教材の広告などで、『お手軽にできる』『すぐにできる』『時間の空いた時だけできる』『ピンポイントで出来る』などの言葉をよく見かけますが、本来学習は、“お手軽に”“すぐに”“気が向いたときだけ”“ピンポイントで”なんて風に出来るものではないと思います。それほど好きでない学習をしなければいけない子どもたちにとっても、そうした学習に関する費用を出される保護者の方にとっても『はやく効果(=成績UP)を出したい』と望まれるのは重々承知していますが、学習の効果を出すというのはそんな簡単なことではありません。
様々な便利で手軽なものがあふれる時代ですが、子どもたちにとってその「モノ」が本当に必要なものなのかどうか?今、与えるべき時期なのか?を見極めて頂くことが大切なのではないでしょうか。