[2025年2月12日]
どうもどうも♪塾長の鈴木です。
本日は風もなくおだやかな気候ですね。
しかし花粉が・・・泣
さて、本日は 「中学生の髪の色」 について考えてみようと思います。
多くの学校では「髪を染めてはいけない」とされていますが、そもそも なぜ「黒髪が当たり前」とされるのでしょうか?
これには、日本の歴史や教育の流れが深く関係しています。
戦前の日本では、学校教育は「国に尽くす立派な人間を育てる」ことを目的としていました。
当時の日本は戦争に向かっており、兵士として戦うことや国に貢献することが求められていました。
そのため、学校でも 「規律を守ることが大事」とされ、全員が同じ髪型や服装をすることが普通になったのです。
男子は坊主、女子は三つ編み。見た目を統一することで、団結力を強めるという考えがあったのです。
しかしながら、日本は戦争に負けました。
戦争が終わった後、ご存知の通りGHQ(連合国軍)が日本を占領し、戦前の軍国主義的な教育はやめることになりました。
しかしながら、「規律を守る」という考え方そのものは残り続けました。
なぜなら、戦後の日本は、国を立て直すために
「規律正しく、勤勉な国民を育てること」
を重視したからなのです。
敗戦後の日本は経済成長を目指し、まじめで努力する人材を育てることが大切だと考えられました。
ゆえに、学校では 「決められたことを守る」「集団の和を大切にする」という教育が続き、見た目の統一も重要視されました。
その流れの中で「黒髪が普通」という価値観も維持されたのです。
さらに、1970年代からは不良文化が流行し、ツッパリやヤンキーと呼ばれる人たちが茶髪や金髪にすることが増えました。
これを見た大人たちは
「髪を染める=遊んでいる」
「不真面目な証拠」
と考えるようになりました。
こうした背景から、髪色を変えることは学校では許されなくなり、「中学生は黒髪が当たり前」というルールがより強化されていったのです。
しかし、世界を見てみるとどうでしょう?
例えばドイツでは、戦争が終わったあと
「個人の自由を大切にする教育」
に大きく変わりました。
よって、学校で髪色を自由にすることは特に問題にならなかったようです。
日本とは異なり
「見た目を統一すること」
にはこだわらず、それぞれの個性を尊重する方向に進んだのです。
こうして考えてみると、日本の学校で「黒髪が普通」とされるのは、単なる学校のルールだけなのではなく、日本の歴史や社会の流れによって作られてきた不文律なのだということが見えてきます。
但し、最近では少しずつ変化も出てきています。
校則を見直す学校も増え、髪色の自由が認められるところも出てきました。
未来の日本では、「黒髪が当たり前」という考え方が変わるかもしれませんね。
しかしながら、大事なのは「なぜこのルールがあるのか」を知ることです。
「髪を染めてもいいかどうか」だけではなく
「ルールの背景を理解すること」も
学びの一つなのではないでしょうか。
私自身は「黒髪でなければいけない」という考え方は、もはや時代に合わなくなってきていると思っています。
髪色を変えたからといって勉強の成果が落ちるわけではなく、見た目の自由をある程度認めることは、自己表現や個性を大切にすることにもつながります。
でもでも〜!
「自由には責任」が伴う
ことも忘れないように。
何の考えもなく「みんながやっているから」「かっこいいから」と安易に行動するのではなく
「なぜ自分はこうしたいのか」
「それが周囲にどんな影響を与えるのか」
を考えることも大切だと感じています。
そして、さらに重要なのは
「周りの見方も変わること」
です。せっかくルールが変わっても、周囲の大人や社会の考え方が変わらなければ、「髪を染めている=不真面目」という見方が続き
「本人が不当に評価される」ことになりかねません。
だからこそ、「黒髪でなければいけない」という考え方だけでなく、「髪色で人を判断しない」という意識を広げていくことが肝要です。
見た目ではなく、その人自身の中身を見て評価する。
そういう社会になれば、髪色のルールにこだわる必要もなくなるのではないでしょうか。
何事も、自分で考えて決断すること。
それと同時に、周り=日本社会の価値観を変えていくことも、これからの時代に求められているのだろうと思います。