[2025年10月30日]
どうもどうも塾長の鈴木です。
さて最近
「うちはコーチングです」
「教えるのとは違うんですよ」
と本部の方が得意げに言う場面に遭遇しました。
言葉としては立派です。
理念としても正しいでしょうしもちろん否定もしません。
しかし
その言葉の裏にある「現場の現実」を知らないまま語る姿を見ていると、思わずこう思ってしまいます。
この人たち
「コーチングも現場も理解していないんだな」と。
ある人は言いました。
「質問が出るのは教材が悪い」
「質問が出ない教材を使えばいい」
「だから考え方を変えてください!」
「〇〇校あるんだから、そこでなんとかすればいいでしょ!」
どれもこれも
「現場を知らない」人の典型的な言葉です。
現場では
「アルバイトの先生や教室長」が毎日本当に苦戦しているのです。
「どう調べても分からない問題」
に出会い、解説を読み、動画を見ても腑に落ちない。
それでも!
「生徒のために必死に準備し」
大学の授業のあとに
「自分で勉強を重ね生徒さんのために必死に準備している」のです。
その姿を知らずに
「質問が出るのは教材が悪い」
などと安易に言い切るのは
「教育現場の努力を軽視」する以外の何ものでもありません。
質問は、理解の欠如ではなく「理解したい」という意思の表れです。
質問が出るからこそ成長があり、質問が出ないときこそ停滞があります。
質問が出ない方が実は危ういことも理解されていないようです。
本来のコーチングとは
「相手にあるものを相手から引き出す」ことだけではなく
「支えること」です。
考え抜いても分からないときに、そっと背中を押し、次の一歩を導く。
それが「引き出す」という意味です。
「支える仕組みがないコーチング」は、ただの放任にすぎません。
そもそも自走できません。
理念を語るのは簡単です。
東京等の優秀な講師がいる教室はいいんです。
けれども地方の小さな教室で
「汗を流す講師」や「生徒さんたちの努力」を知らなければ
コーチングはただの飾り言葉になってしまいます。
それを理解していれば「教材のせいにする(個別最適化されてるのが売りなのに)」
発言は絶対に出ません。
まずはその苦労に寄り添うはずです。
希望塾は、理念ではなく現場を見ています。
「わからない」に寄り添い「わかりたい」を支える。(アルバイトさんも支える)
それが、本当の意味でのコーチングなのです。