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きらめき進学ゼミ

[2019年11月11日]

そうだ、司馬遼太郎、ちゃんと読んでみようか…。

img1 お昼前に、雷、そして、激しい雨(@ ̄□ ̄@;)!!
空が暗くなって、夜になったかと!
車もライトをつけて走っている(@_@)
それからしばらくして、普通の天気になって、日が差してきました。
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本屋さんに寄って、AERA、やはり買ってしまいました。
……英語民間試験 枠組みを決めた審議会の委員が証言……(英語民間試験のことは)「話題にも上らなかった」……メンバーの一人、南風原朝和・東京大学名誉教授/AERA編集部取材。
……文科省には、高大接続改革の機に乗じて、財政面からだけでなく、教育面でも大学へのコントロールを強化したい意図があった。16年4月に(高校までを司る)初等中等教育局の審議官が大学入試センター理事に就任し、1年後には次期学習指導要領のまとめ役を担った同局の行政官が新テスト事業部に着任して、新テスト開発の主導権を(大学や短大を所管する高等教育局から)初等中等局が握った。彼らからしたら、是が非でも攻略したいポイントだったでしょう。……大学入試センター名誉教授・荒井克弘氏。
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読書の秋、山内昌之・細谷雄一/編著「日本近現代史講義」基本が身につく14講/中公新書。
帯に「特定の歴史観やイデオロギーに偏らず実証を旨とする」とあったので即買いしました。
中学生には難読だろうけれど、高校生ならいいかも♪
基本と書いてあったけれど、かなり骨太でしたよ。
……第13章 ポスト平成に向けた歴史観の問題…戦後から明治へ、さらにその先へ…中西寛/京都大学大学院法学研究科教授。
……司馬遼太郎は、「私の漱石」という小文で、「日本人が外国語がへたなのは、ひとつは、明治末年に日本語が文章語として確立されたから」と指摘し、物理も化学も数学もすべて日本語で教科書を作った後進国は日本だけであり、こうした文章日本語の完成者が漱石だと述べている(「司馬遼太郎が考えたこと15」新潮文庫)……別の文章では、文章日本語が大衆のものとなったのは昭和三十年代、週刊誌の普及とともにである、とも指摘している。(「この国のかたち6」文春文庫)……今日では司馬の小説は「国民文学」とも称されるが、司馬の文体そのものが、漱石が完成させた文章日本語を大衆化した戦後日本語の結晶であると言えるかもしれない。……
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