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きらめき進学ゼミ

[2024年2月13日]

堤には桜、もうすぐなのかな♪

img1 よく晴れて良い天気の火曜日。
気温も上がってきて、なんと3月、4月の暖かさに。
天気図では高気圧が列島の南に。
風の吹く向きは、「高」という字を書いてみると分かります。
右隅のハネをそのまま勢いよく伸ばしていくと、なんとなく時計回りに〇が描けませんか。
まあ、そのようなわけで南の方から温かい空気が吹き寄せてくるわけなのです。
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冬読書。
「謎の平安前期」──桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年/榎村寛之/中公新書2783/2023.12.25.
小学6年生の社会、中学社会の歴史で学習しますが、確かに平安時代は長い。
天皇、貴族、上皇、武士と政治の仕組みが変わっていくことを学びます。
しかし、そのいきさつは教科書通りに知ることはできても、いざ、どうなの、というところまではわからないわけで。
紫式部と藤原道長のドラマの世界の前を見ることが出来るなら、と。
ズバリ、当たり、おススメです。
最近の新書は読みやすいけれど、それ以上に丁寧で分かりやすくて面白かったですね。
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「難波潟 みじかき芦の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや」/伊勢。
子どもの頃、恋歌などとは分からずに百人一首を覚えるわけですが、小学社会や中学社会で地理や歴史を勉強していく中で、「潟」が現代の大阪の風景とはどうも重ならない。
都会の街、大阪のイメージが強くて、そんな時代もあったのか、と思っていました。
JRや阪急で淀川の鉄橋を渡るときにいつも思い出すのが、昔、釣りの好きな少年が淀川河口にハゼ釣りに出かけるといっていた話。
そうか、なるほど、すぐ先は海だよなあ、と。
まさに「潟」があったころの地図がこの本には載っていましたよ。
海辺からすぐそこには大陸からの船、川を上下りする舟も見られたのでしょう。
異国の人が驚くような巨大な古墳も作られ、大きな城も築かれてきた。
今は観光客でにぎわう京都、木屋町。
江戸時代には運河、高瀬川も出来て水運も発達。
川の流れは奈良へも京へもつながっていたわけで。
昭和の時代になるまであった「巨椋池」も地図にはありました。
タモリさんの番組、伏見城の時だったかな、で話に上っていましたが、大阪城も伏見城も当時としては最適な場所に築かれていたのですね。
地図ひとつで、いろいろと湧き出すものがありました。
続く♪
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